イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

あるにはあるのですが……。

 
 キリスト者への一意見:
 なるほど、インマヌエル預言ね。一応、話は分かりましたよ。だけどなんだかなあ、申し訳ないんだけど、なんかビビッと来ないんだな。もっとすごいやつないの?
 

 これに類するコメントに対しては、まことに心苦しいのではあるが、次のように答えるのが適切なのではないかと思う。
 

 答え:
 すみません、あるにはあると思うのですが……。
 

 たとえば、『ゼカリア書』12章10節の終末に関する預言とかは、ちょっとこれはヤバいんじゃないかというくらいのドンピシャぶりで、再臨に絡めて十字架刑のことが語られている(神がキリストとして「わたし」と発語しているあたり、三位一体論の観点からしても大変に興味深い)。あとはやっぱり、かの『イザヤ書』53章の「主の僕」の預言とかは十字架の意義を数百年前にはっきりと告げていて、これまたインパクトが大変に大きいのではあるが……。
 

 答え(上記のものの続き):
 預言の成就から深い感動を得るためには、おそらく、その前にある程度聖書を読み進めておく必要があります。
 

 いやこれ、どうしてもこう答えとかなきゃいけない気がするのだ。いきなり預言から紹介しても、多分なんか取って付けたみたいな感じになっちゃうし、やっぱ少なからぬ前置きが必要なのであるが、そんなんだったらなんで預言の成就なんて話題を引っ張り出してきたのだphilo1985よと言われると、いやホントすみませんとしか言えないんだけど、とりあえず、なんかごめん……。
 
 
 
 キリスト者 インマヌエル預言 ゼカリア書 十字架 イザヤ書 三位一体 聖書 イエス・キリスト 復活 再臨 旧約聖書
 
 
 
 とりあえず福音と預言の成就とが切り離せないという論点は確認したということで、さらなる預言の紹介は先送りにしたいのであるが、それにしても、ここには聖書を読み進めるうえで重要なポイントがあるように思われる。
 

 聖書だけじゃなくて他のことでも大抵はそうだけど、ものごとの本当の面白さってきちんと時間をかけないと味わえないようになっている。
 

 預言についてもまさしくそうで、この預言がなんとここで実現されてるのかうわぉマーベラスみたいな感覚は、実際に聖書をとりあえず信じてみる方向で読み進めてみないと、大変に伝わりにくいのである。というわけで、目下のところは「イエス・キリストの誕生から十字架&復活、そして再臨に至るまで、あらゆることが旧約聖書に預言されてるっぽい」ということで、その詳細は後回しにしつつ、今は先に進むこととしたい。
 

 それにしても繰り返しにはなってしまうが、なんかめちゃくちゃ中途半端なことをしててすみませんという感は否めない。これが仮に武士ならば切腹でもして事を収めるところかもしれないとはいえ、死ぬのが怖い僕には到底そんなこともできそうにないゆえ、なんとか穏便に済ませていただきたいとご容赦を願うほかないのである。