イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「ただ、ひとつの必然さえあれば……。」

 
 前回の記事を書いた後、燃えたあまりこのブログの題名を『ラストサムライ』に変えようかとも思いましたが、近日中に極度の後悔に襲われることは必至と思われるのでやめておくことにします。
 

 「人間には、天命が必要である。」
 

 俺には、必然がほしい。ただこうしてブログを書きながら食いつなぐだけの毎日でも、幸せではあろう。数日前に届いた住民税の支払い書はあまりにも高すぎて発狂しそうではあるが、生きているだけで感謝せねばなるまい。
 

 ただ、たとえこうして一生が終わり、岩波文庫入りが果たせないとしても、俺には俺の天命が必要なのだ。いやもう、地味でも何でも構わない、ただ天が、人ではなく天が与えた、俺のための何かの仕事が。
 

 俺は、何のためにこの世に生まれてきたのだ。
 

 もしも天命なるものがあって、そのためにこの俺(非正規雇用)が生まれてきたのだとするなら、そして、天はその天命を果たすことしか俺に望んでいないのだとするならばである、俺はただ、それを果たすだけで十分なのではないのか。それが地味か派手かは、それこそ天が決めることである……。
 
 
 
ラストサムライ ブログ 天命 岩波文庫 サムライ
 
 
 
 ただ、俺はこれまでの人生で、ただ岩波入りすることだけを目指して生きてきた。社会からあぶれようが何であろうが、それが俺の最後のプライドであった。もとより、虚しいプライドではある。周りから見れば、痛々しいの一言に尽きるかもしれん。
 

 しかし、それが俺の最後のサムライとしての意地なのである。刀を振るうべき場所もなく、そもそもサムライとしての哲学者が必要とされる時代ですらもなく、ただ俺はサムライである、サムライとして生き、そして死ぬのだという犬死の覚悟だけが、俺を支えてきた。
 

 しかし、天が俺に岩波入りを許さないのだとすれば、どうなのだ。俺は勝手に岩波入りを目指し続けてきたが、もしも天が俺には、岩波入りではない道を望んでいるとすれば。
 

 わからん。その時俺は、果たしてそれに耐えられるのだろうか。もしも俺が、ただ虚しく岩波の生まれない時代に岩波入りを目指し続けた一素浪人として、ただこの時代の流れの中に消え去ってゆくだけだとしたら。答えは一向に見えないが、もう少し考えてみる。
 
 
 
 
 
 
 
 
[文体上の混乱を、お詫びいたします。]