イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

極上のビーチ

 
 「反対物への、ヘラクレイトス的流転……。」
 

 爽快な気分についても、考えておきたい。ここんとこメチャクチャに暑くて死にそうになるけど、さんざん暑い中を歩きまくったあとにプールに飛び込むというのは、おそらく最高なのではなかろうか。
 

 暑い。もはや、全身汗だらけだ。そう思いながら大都会の、たとえば新宿駅のビルの谷間を歩いてるとする。限界だ。もはや僕は僕ではないのではないか、僕は本当は汗なのではないかと疑うくらいの暑さである。
 

 ところがだ!突然に意味もなく現れた、超巨大プール。ヤシの木すらも生えている。ていうか、気のせいか、波の音すらも聞こえてくる。海だ。ここは、沖縄だ。
 

 青い!こんなに空も海も青いとは、思わなかった。真っ白に輝く砂浜を走りながら、もはや汗は苦しみではなくなっている。なぜなら、目前には飛び込むための極上のビーチが、迫っているから……。
 

 SEA WATER。ガラスの中の氷のような、超絶としか言い表しようのないひんやり感。心地よいという言葉が跡形もなく、消滅するほどの……。
 
 
 
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 もはや、哲学はない。哲学は死んだ。そこにあるのはただ、サンゴ礁とトロピカルマンゴーであり、カフェ・フラペチーノであり、ガリガリ君である。ペンギンが見える。まるで空を飛ぶようにして凍りつくような大海原の中を、泳ぎまわっている……。
 

 こういうものを憧れ求めるのも、今のこの季節が殺人的に暑ければこそである。冬には南国のビーチもガリガリ君も、恋しくはならない。ひとは、現在自分が置かれている状況の反対物としての爽快感を求めるということなのだろうか(幸福のユートピア性)。
 

 しかし、書いてる途中まではよかったけど、早くもまただんだん暑くなってきたのである。爽快な気分とはほんの一時だけ続く、幻のようなものにすぎないということなのか。しかし、幻でもなんでもいいから〈今−ここ NOW−HERE〉とおさらばして、極上のビーチ〈NO−WHERE〉にダイビングしたいもの……。