イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

死の欲動と倫理の問題

「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる」 ー死の欲動についての考察のおわりに

芸術と倫理についての探求の終わりに、以前の記事において取りあげた言葉について、もう一度考えてみることにしましょう。 「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる。」やくしまるえつこさんのこの言葉は、私たちの想像をはるかに超えて、この時代の問いの中…

ディスコミュ二ケーションを突きぬけて ー向井秀徳「KIMOCHI」から考える

これまでの二つの曲の分析から見えてきたのは、私たちの時代においては、人と人とのあいだの関係が、かつてないほどに遠いものと感じとられるようになってきているということです。 あなたは、私にとっては原理的にいってすべてを知ることのできない存在です…

善悪の彼岸から呼びかける音楽   ートム・ヨーク「The Eraser」について

道徳法則の及ばないところで、むき出しの人間関係を生きる。私たちの時代は、このことの意味がかつてないほど深刻に問われるようになっている時代だと思います。 こうした状況に、むき出しの暴力と性をテーマにしたエンターテインメントが巷にあふれるように…

ポップ・ソングの神学的次元   ーsalyu×salyu『ただのともだち』から、愛の体験について考える

人間のうちでいったん死の欲動がアクティブ・モードに入ると、道徳法則は停止してしまいます。そうだとするならば、この欲動との深いつながりのうちにある芸術は、必然的に倫理に反してしまうことになるのでしょうか。確かに、そうしたモメントを扱っている…

生きることと死ぬことを超えて、芸術家は思考する   ー岡本太郎『明日の神話』をめぐって

これまで見てきた作品のうちでは、死の欲動とでも呼ぶしかないようなものの存在が人間のうちで働いていることが示されていたように思います。死の欲動、あるいはタナトスは、私たちのふだんの生活のなかではその存在さえもが慎重に隠されていますが、映画や…

ハンバートが自分でも気づかないうちに、語ってしまっていること   ー『ロリータ』における傷の問題

当然の報いというべきでしょうか、ハンバート・ハンバートとロリータの関係は、物語が進んでゆくにつれて次第に破綻を迎えてゆきます。この破綻は、ハンバートの魂にとり返しのつかない傷を与えることになり、最終的に、彼は殺人に手を染めるまでに至るので…

少女たちをたたえて   ーハンバート・ハンバートのニンフェット理論

「私の芸術は、ひょっとすると、洗練されたかたちでの性的な欲望の追求にすぎないのではないか。」たとえそうした疑いがきざしてくることがあったとしても、芸術家はふつう、自らが創りあげた作品の美によって、その疑いを上品に覆い隠してしまおうとします…

「ロリータ、わが腰の炎」   ーウラジーミル・ナボコフの小説世界へ

ところで、芸術と倫理のあいだの相克というこの問題については、暴力についで性の領域についても見ておく必要があることは、いうまでもありません。この領域においては、芸術はたえずスキャンダルを巻きおこしては、倫理の顰蹙を買いつづけてきました。 今回…

燃えゆくものはみな美しい   ー『宇治拾遺物語』と仏師良秀

芸術と倫理は、危うい均衡のうえでバランスを取りつつ、少なくとも表面のうえではつねに和平を保っています。このことの証拠としては、作品の終わりには正義がかならず取りもどされるという事実を指摘することができるでしょう。ホメロスの『オデュッセイア…

死の欲動と芸術の真理

先週の記事ではいくつかのアート作品について論じてみましたが、それらの作品はみな、多かれ少なかれ、死や暴力を取りあつかっているものでした。今日はこの点について、もう少し踏みこんで考えてみることにしたいと思います。 芸術家が美を追いもとめるとき…