イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ヘンリー・ミラー、大いに語る

  [この記事は、前回からの続きです。ヘンリー・ミラーが昨日にひきつづき、「この人生の核心」について語ってくれるそうです。]

「まずは繰り返しになるがね。君、この人生にはね、面白いか面白くないかしかないのだよ!こりゃもう、はっきり言って!俺に言わせれば、君はまだまだ全然そこんところがわかってない。君は、物書きになりたいそうだな。それなら、発狂するぐらい面白いもん書かなきゃ、読者は君の書いたもんなんて読んでくれんよ!


  なに、不安?読んでる人にどう思われるかが不安だと?馬鹿野郎、そんなもん、不安に決まってるだろうが!いいか、俺は君に、今からとても大切なことを言っておくぞ。面白さってのはだな、やっていいことといけないことのあいだで綱渡りしてるときにこそ、最大限に高まるもんなんだ!踏みこまなきゃいけないところに踏みこまんと駄目なんだな、これが!やりすぎたら、君は無視されるか嫌われる。臆病なら、君の書くもんは、もうなんの面白みもない。これはもう、場数ということに尽きるな。君には全然それが足りんよ!ズバリ言っておくがね、このまんまじゃ君は、何にもなれんで終わるね!


  おいおい、落ちこむなよ!なんでそんなに打たれ弱いのかねえ、君は!タフになれ!書きたいんだろう?言っておくが、書くことで生きてくってのは、こんなもんじゃないぞ。人前に書いたものを出すってのはだな、なんでも言われるってことだよ。そりゃもうボロクソだよ!お前の書いてるもんは紙クズだなんて言われれば、まだマシな方だ。お前なんて人間失格とまで言われるんだ!眠れないぞ、きっと。そういう覚悟なしに書きたいだなんてぬかすなら、俺は君に言っておく、もう書くなんて今日かぎりでやめちまえ!


  しかしだな。問題は、それでも君に書きたいもんがあるかどうかだ。断言してもいいが、君はこれから地獄を見る。しかし、物書きならばそれでも書きつづけるだろう。なぜか?奇蹟が見たいからだよ。自分が死ぬほど面白いと思うもんを書いて、おいおい、なんで俺の書くもんはこんなに面白いんだ、最高すぎる、ノーベル賞もらえるのはもう俺しかいないと思えるようなもんに仕上げる。でも、それだけじゃ駄目だ。それから、読者が読む。書いた自分だけが最高だと思うんじゃない、たんなる一人よがりなんかじゃない、読者まで、すげえ、すげえよ、ああ面白いなあ、人生は最高だよ、今日はすげえいい気分だよって思ってもらわにゃならん。そのとき読者は、もう書いた君のことなんて見ちゃいない。ただ、読んだ自分の人生が、それまでとは全然ちがって輝いて見える。俺も絶対何かやってやろうとか、わたしも今日は楽しいことがあるといいなとか、そういうことを考える。こういう奇蹟がいつか起こることを信じて、君は地べたを這いつくばって書きつづけなきゃならんのだ。


  昨日から、君は自分の人生についてあれこれ言い訳しようと思ってたようだが、そんなことはさせないぞ。ただ、面白いもんを書け!さあ、君は明日からまた書かにゃならん。道を切り開いてみせろ!奇蹟を起こしてみせろ!一度でもいいから、誰かを心の底から感動させてみせろ。そういう体験を味わったことがあるか?あれは、たまらんものだ。君はもう絶対に、書くのをやめられなくなるぜ・・・」