イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ハーマン・カーンの悪夢の世界

 
 『博士の異常な愛情』という映画をごぞんじでしょうか。1964年に公開されたこの映画は、鬼才・スタンリー・キューブリック監督の代表作であるとの呼び声も高い作品です。まだ観たことがないという方がいらっしゃいましたら、もしよろしければ、予告編のほうをご覧ください。(最初の1分半がワンセットなっています。見なくても、記事の方にはとくに影響はありません)
 
 
Dr. Strangelove Or: How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb - Trailer


 
 核戦争をテーマにしたこのブラック・コメディーをとても印象ぶかいものにしているのは、ピーター・セラーズ演じる、マッド・サイエンティストのストレンジラブ博士です(予告編のなかで、"Ten females to each male"というセリフを言っている人物)。今回は、この登場人物のモデルの一人とも言われている、ハーマン・カーン博士の理論について紹介したいと思います。
 
 
 のちには未来学に情熱を傾け、日本の経済成長についても盛んに論じつづけたハーマン・カーン博士ですが、1960年代のはじめに世間の注目を一躍浴びることととなった理由は、核戦争についての著作を数冊つづけて書いたことでした。並はずれたIQを持っていた彼は、これらの本のなかで常人の想像をはるかに超える世界を切り開いてしまいましたが、今日ではその内容について正面から論じる人はあまり多くありません。
 
 
 僕も、ふとしたきっかけから博士の業績に行き当たり、今回の記事を書くためにリサーチをはじめた時には、「かつてはとても多くの話題を集めていたようなのに、なぜ今はほとんど論じられなくなってしまったのだろう?」と不思議に思っていたのですが、大学の書庫から本を借りてきて読み進めるうちに、事情が少しだけわかったような気がしました。「こ、これは、あまりにもダークすぎる。」正直に言って、僕もあまり深く考えていると不眠症になりそうなので、すべてのページを念入りに検討することは恐くてとてもできませんでした!今回の記事では、理性的な思考にもとづいて「世界平和を目指す」博士の研究の、ほんの一端だけを紹介させていただくことにします。
 
 
博士の異常な愛情
 
 
 博士は言います。核戦争というこのテーマについては、誰もが無意識のうちに考えることを避けている。けれども、「考えられないことを考えること」は、未来についてのヴィジョンをしっかりと持つためにも必要なはずだ。気が乗らない話題であることは確かだが、この領域のうちに、ひとつ勇気を出して踏みいってゆくべきではないか。
 
 
 1938年12月の時点で第二次世界大戦が起こると予想していた人は、ほとんど存在していなかった。おそらくみな、戦争が起こってほしくないと願うあまり、非論理的な考え方のうちにはまりこんでいたのだろう。核戦争については、言わずもがなだ。だが、第二次世界大戦前の時と同じように考えないでいると、かえって核戦争が勃発する確率は高くなるかもしれない。それぞれの国の国民は自分たちの生き残りという観点からしてもきわめて重要なこの問題にたいして、理性的に参加してゆくべきではないだろうか。
 
 
ここまでなら、とても耳には痛いですが、ある程度まで納得できるものだと思います。しかし、博士のシミュレーションはこののちにも、私たちの限界を超えてどこまでも突き進んでゆきます。
 
 
 核戦略というと私たちはたいてい、「人類が全滅してしまうか、それを恐れて、誰もが核兵器の使用を止めるかのどちらかだ」と想定している。しかし、ここでよく考えてみると、「核戦争においてどちらかが勝つ」という可能性も、論理的には存在しているといえるのではないか。人類の全員が絶滅することなしに、核戦争を行うことは十分に可能なのだ。生き残りをかけた闘いのなかで、どちらかが勝って終わる未来もありうることについては、われわれは念頭に置いておかなければならない。
 
 
 無意識のうちに想定することを避けていたのでしょうか、僕は、博士の論を読むまでは、そうした可能性について考えたことが一度もありませんでした。博士はここから核兵器の使用にかんして「予防戦争」(!)なる用語を作り出し、つぎつぎに自論を展開してゆきます。わかります、頭の中ではとてもよくわかるのですが……このまま続けていると、「もうやめてください、博士!」と叫びたくなってしまう気持ちを抑えることができそうにありません。書いている僕のほうに精神の限界が来そうなので、一息ついて落ちつくためにも、最後はジョークのようなお話をひとつつけくわえることで、このお話を終えたいと思います。
 
 
ハーマン・カーン
 
 
 博士が提出したアイデアの一つに、「ドゥームズデイ・マシーン」というものがあります。「破滅の日の機械」とでも訳せるかもしれませんが、このアイデアは『博士の異常な愛情』でも利用されていたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ドゥームズデイ・マシーンは、およそ人類が想定しうるなかでも究極と呼ぶことのできる抑止装置です。
 
 
 この装置のアイデアは、次のようなものです。敵味方を問わず人類の全てを一撃で滅ぼしつくすことのできる量の核爆弾を、コンピューターに連動させた装置を作る。コンピューターは、適切な条件のもとで敵から攻撃がやってきたと判断したさいには、いかなる例外もなしに破壊装置を作動させる設定になっている。実用化する場合には、このマシーンの存在を前もって全人類に伝えておくことが必要である。このような装置が存在していることを敵が知った場合には、その敵は絶対に、マシーンを持っている側を攻撃することができないであろう。それを行うことは、敵と味方のみならず、全人類を滅亡に追いこむことになるからだ。
 
 
 仮に、先進国のすべてがドゥームズデイ・マシーンを実用化するならば、論理的には、完全な平和がついに訪れることになるかもしれません。しかし、注意しておかなければならないのは、「実効的な抑止力として機能するためには、マシーンの作動は完全に自動化されておかなければならない」という点です。脅しとして十全に機能するためには、「ドゥームズデイ・マシーンを所持する国に一度でも攻撃を仕掛けてしまうならば、もう絶対に後戻りがきかない」という点を保証しておかなければならない。ゆえに、コンピューターと核爆弾の連動は、あとから人間の手が及んだりしないよう、宇多田ヒカルばりにオートマティックなものにしておく必要があるのだと、博士は解説を加えています。ドゥームズデイ・マシーンは、誤作動と悪用の可能性にさえ気をつけるならば、正真正銘、最強の防衛システムであるということができるでしょう。
 
 
さすがにここまでフィクションじみてくると、かえって安心かもしれません。「なんだ、やっぱり実際にはありえないよね!」それに、ハーマン・カーン博士の研究は冷戦下という特殊な状況下で行われたものにすぎませんから、現在の状況とはあまり、いやほとんど全く関係がないと考えることができると思います。ですが、次回は確認のために、今日の国際情勢を見ておくことにします。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)