イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

自由のスピリット!   ー洋学紳士君、大いに語る

 
 南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人によって、ざっくばらんな政治談義が交わされる『三酔人経綸問答』ですが、一番手として演説を繰りひろげるのは、理性の申し子とでもいうべき洋学紳士君です。今回の記事では、彼のいうところに耳を傾けてみることにしましょう。
 
 
 中江兆民は、この本のなかでパレーシアをきわめて大胆に行使しています。たとえば、洋学紳士君が、すべての人が税金を払うだけで満足して、そのあと国のことを考えなければどうなるかを語っている箇所を見てみることにしましょう。国民たちは平和な暮らしにすべてを忘れ、ただ自分の生活の楽しさと利益だけを考えるようになり、頭脳の働きは衰えてゆく。次第に、体も食べたご飯を放りこむだけの袋になってしまい、最後には、
 
 
「国全体がただくねくねにょろにょろする肉の塊になってしまうほかはないのです。」
 
 
 原文では、「唯蠕々然蠢蠢々たる凝滑の一肉塊と為らんのみ」となっていますが、いささかやりすぎなのではないかというくらいの悪ノリです……。おそらく、今の時代にこんなことを書いてしまったとしたら、炎上は避けられません!
 
 
 さて、洋学紳士君の演説の本題に入ります。彼の演説を突きうごかしているエネルギーの根源にあるもの。それは、自由のスピリットです。洋学紳士君の演説を聞いていると、明治という時代を吹きぬけていった自由の風を、今でもいきいきと感じることができる。彼自身も、「自由の大気の風通しをよくするなら」という表現を用いていますが、これはもう、風にしかたとえようのないものです。
 
 
 国の人びとが知識に目覚めれば、彼らはおのずと政治の次元にも目覚める。そうなると、自由のスピリットが国じゅうの人びとのあいだを駆けめぐってゆくようになるだろう。昼も夜も、人間たちはより一層の自由を求めて、思想を磨き、自分の仕事にも精を出すようになってゆく。かくして、学問も盛え、産業も豊かになり、社会全体が発展してゆくことだろう。
 
 
 洋学紳士君は、経済的利益だけを追いもとめる態度をたしなめています。国を豊かなものにするためには、経済の次元だけではうまくゆかない。国を作るのは、何よりも思想と知識だ。自由こそは、あらゆる社会事業の酒を実らせるアルコール酵母なのだから。興味ぶかいことに、『七つの習慣』をはじめとするビジネス書の数多くのベストセラー本も、洋学紳士君のこの意見にかなり近いことを言っているようです。
 
 
 
中江兆民 三酔人経綸問答 洋学紳士君
 
 
 
 この国においてはあまり強調されることがありませんが、私たちの現代世界を支えている最も大きな社会原理は、自由です。自由のスピリットは、アメリカの専売特許というわけではなく、デモクラシーの原理を掲げるあらゆる国が必要としています。封建制の江戸時代を生きた経験をもつ中江兆民は、明治への移りかわりとともにヨーロッパから入ってきたこの自由の風の力を、きわめて敏感に感じとりました。
 
 
 なにしろ、留学先のパリでは、フランス人の女優に直接会いに行ったとおぼしき証拠さえ残している人です。彼は演劇と音楽をこよなく愛していたそうですが、ジャン・ジャック・ルソー田中角栄といい、この中江兆民といい、政治の領域でなにか大きなことを成しとげる人は、音楽好きであるというケースがなぜか少なくありません。おそらく、音楽は自由を介して政治に結びつくということなのでしょう。
 
 
 音楽に耳を傾ける人は、人間が何ものにもとらわれることのない自由を求めつづけてやまない存在であるということを、体の奥ぶかいところで知ります。その自由が、そのまま社会のしくみを形づくる原理になってゆくとしたら、なんとすばらしいことでしょうか!こう言ってしまうと、たんなる夢物語にすぎないようにも聞こえますが、デモクラシーの思想を作りあげたルソーや、東洋のルソーと呼ばれた中江兆民のような人たちが抱いていたのはおそらく、このようなヴィジョンにほかなりませんでした。
 
 
 このように考えてみると、自分が民主主義の国に生きているのが、なんだか不思議なことのように思えてきます。何ものにもとらわれない自由を、誰もが実現できる世界。そのような世界は、この現代においてもはるか遠いものであるようにも感じられますが、洋学紳士君は、歴史をうごかす進化の法則の存在を信じています。本当の意味でのデモクラシーの実現をめざすというのは、はるか先の未来をめざして生きることなのでしょう。
 
 
 自由はすばらしい。けれども、自由のスピリットは私たちをどこに連れてゆくかわからない性質を持っているということもまた、忘れることができません。これから、理性と自由に突きうごかされてひたすらに突っ走ってゆく洋学紳士君が、一体どこに到達するのかを見てみることにしたいと思います。すこし意外なことですが、私たちは洋学紳士君の演説のうちに、現在の私たち自身の状況を見いだすことになるでしょう。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)