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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

Dr.Yと三種の薬   ー近代医学のメッセージ

 
 Dr.Yの診察は、意外なほど早く終わりました。精悍でダンディな風貌のDr.Yは、ひととおり僕の眼球をライトで調べたあと、僕に尋ねました。
 
 
「で、あなたは眼精疲労なの?」
 
 
「はい、ドクター。ここのところ特にひどくて、サンコバという薬を使っているんですが、あまり効き目がない状態なんです……。」
 
 
「なるほど。じゃあ、そのサンコバはやめましょう。今から薬を出しますから、1ヶ月後にまた来てください。」
 
 
「な、なるほど。では、今のサンコバは……?」
 
 
「だって、効かないんでしょう。今のあなたに必要なのは、サンコバではない!たぶん、これなら大丈夫だと思います。ダメならまた対応しますので、とりあえず、また1ヶ月後に!」
 
 
「は、はい!」
 
 
 そして、薬の処方せんを出してもらい、あっという間に診察は終了となりました。Dr.Yから「言いにくいのですが、あなたの眼は大変深刻な状態にあります……。」と宣告されてしまうといったような、かぎりなくダークな未来についての想像をたくましくしていたので、なんだか拍子ぬけしてしまいましたが、とりあえずは安心といったところでしょうか。
 
 
 それにしても、診察自体は短時間のもので、口調もそっけないものでしたが、Dr.Yその人からは、何やらとてつもなくできる人物のオーラが漂っていたように思います。お医者さんを取りまいている、あの魔法のような雰囲気は一体どこから出てくるのでしょうか……。いずれ、じっくりと考えてみたいところです。
 
 
 
サンコバ 眼精疲労 眼科
(これまで使っていた、サンコバくん。ありがとうございました)
 
 
 
 Dr.Yが出してくれた目の薬は、三種類あります。いずれも、眼精疲労に苦しむ僕の眼を救ってくれる、救世主となるはずのものです。
 
 
 まずは、「ミオピン点眼液」。ネオスチグミンメチル硫酸塩やLーアスパラギンカリウムを配合した、目の調節機能を改善する薬です。仏教の教えによれば、宇宙の無限の智恵に満たされたブッダは、街の中にいる普通の人の姿をとって、私たちの前に現れることもあるそうです。このミオピン点眼液も、赤いサンコバの液体とはちがって無色透明のものですが、特になんということもないようにみえる液体のマッスのうちに、秘められた実力を感じさせます。
 
 
 二番手にやってくるのは、「アデホスコーワ腸溶錠60」。目の調子を整えるエネルギーを補給するための飲み薬です。ふつうの薬は、胃のなかで溶けることが多いようですが、この薬はその名の通り、腸のなかで溶けるもののようです。小さくてかわいい錠剤で、その姿は、まるで人間を助けてくれるコロボックルたちのようです。
 
 
 そして、最終兵器がこれです!「サンドールMY点眼液」。瞳孔を広げることで眼を強制的に休ませるという、三つの薬のなかでは、最もドラマティックな効果をもたらす薬です。まるで、それまでずっとブラック企業で過酷に働かされつづけていた眼球に、いきなり気前よく南国のヴァカンスが与えられるようだとでもいえるでしょうか。この薬は、使ったあとに起きていると、瞳孔が開きっぱなしで生活する(!)ことになっていまうので、寝るまえに使用することが強く推奨されています。毎晩、布団に入る前には、「どうか、この左目にかぎりない安息を与えたまえ……!」と、祈るような気持ちで使っています。
 
 
 これまでのところ、これら三つの薬のおかげで、眼の疲れからは急速に回復しつつあります。これでひと安心といったところですが、これらの薬の力に頼りすぎることなく、ふだんの生活のなかで、自分の眼とのよりよい付き合い方を模索してゆく必要がありそうです……。時間をかけて、健康な生活を維持できるようなライフスタイルを確立してゆきたいと思います。
 
 
 
ミオピン アデホスコーワ サンドール 眼精疲労 眼科
(新たに処方してもらった、三種の薬たち。心づよい味方です)
 
 
 
 今回の件をとおして、改めて、近代医学が私たちにもたらしてくれる恩恵を感じずにはいられませんでした。それはまるで、近代医学のスピリットが、次のように僕に言ってくれたかのようです。
 
 
「君の眼の問題は、近代医学がなんとかする!ミオピン、アデホスコーワ、サンドールの三位一体が、君の肉体の悩みにばっちり対応しよう。それがダメなら、また別の手がある。
 
 
 もちろん、わたしは万能ではないが、わたしは君が思っているよりもずっと賢いのだよ。たとえば、君には、どうして腸のなかで溶ける薬なんてものを作ることができるのかさえ、調べなければよくわからないだろう?人間の体のことについては、数えきれないほどの医師たちが、君が想像することさえもできないくらいに長い時間をかけて、昼夜を問わず研究と実践をつづけてきたのだ。
 
 
 だが、君がこれから哲学者として一人立ちできるかどうかは、わたしの能力の範囲外だ。それは君自身が、これから長い時間をかけて悩み苦しまなければならないことだろう。辛いのはわからんでもないが、眼のせいにしちゃいかん!
 
 
 わたしは、一生懸命に生きようとする人間たちが、たかが体の病気くらいで人生をあきらめるところなんて、できるだけ見たくないのだ。だが、治ったあとに君たちがうまくゆくかどうかまでは責任はもてんよ!本の読みすぎとiPadの使いすぎには注意して、あとは君自身で頑張りたまえ。」
 
 
 近代医学は、人間を幸せにするためにある。ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』をはじめとして、近代医学なるものの本質については世界中でさまざまな研究がなされていますが、このことは、あまりにも当たり前のものであるだけに、とても忘れられやすいものであるような気がします。思わぬアクシデントから始まったこのシリーズも、次回で終わりになりますが、今回の一件をとおして見いだしたことはなんだったのか、これから振りかえって考えてみることにします。
 
 
(つづく)