近代という時代は「愛しい彼女」という偶像を崇拝するにいたってしまいましたが、この時代が決定的に終わりを迎えたことがいよいよ明らかになりつつある今、もしかすると、偶像のたそがれもそう遠くないのかもしれません。
しかしながら、およそ偶像崇拝なるものと縁を切るためには、信仰者が、偶像の誘惑から完全に解放されていることが必要です。かれは、恋のもたらす狂気から、絶対的に自由である必要がある。
なぜなら、偶像というもののうちには、どれだけ押しのけても気づかないうちに回帰してくるという、もはや悪魔的としか呼びようのない力が宿っているからです。
偶像は信仰者の魂のうちにあるほんの小さな隙を見逃さず、いつでも彼をまことの神のもとから遠ざけようとしている。その偶像が、柔らかな髪や細い腕、真っ黒な瞳やふくよかな唇によって飾られているという場合にはなおさらです。
信仰者も、かつては一人の恋する若者として、この習慣にどっぷりと浸かっていたものでした。彼自身は、今ではその習慣とすっかり手を切ったつもりでいますが、果たして、ことがそう簡単に運ぶといえるかどうか……。
「愛しい彼女」は、本当は今でも信仰者の無意識の心の奥底にいて、かれの信仰をそっくりそのまま自分のものにしてしまおうと、その機会をひっそりとうかがっているのかもしれません。
彼女がふたたびこの世で肉の衣をまとい、新たな女性として目の前に立ち現れたとき、信仰者は彼女にたいして毅然としてふるまうことができるのでしょうか。かれの心は、彼女のまなざしを頑としてはねつけることができるほどに強いのでしょうか。
もしそうでないなら、信仰者はかれの主にたいして、まずは次のように祈るべきかもしれません。
「神よ。あなたこそはまことの神、あなたをおいて、他の神はありません。どうか、弱さを抱えもつこのわたしを憐れみ、誘惑に遭わせず、偶像のもつあの悪魔的な力から、わたしを守りたまえ。アーメン。」