イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

パウロの証言

 
 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」
 
 
 メシアの知らせを告げ知らせ、その後にキリスト教と呼ばれることになる運動の巨大な発火点の一つとなった使徒パウロが、この知らせのコアになる部分について書いている箇所です。かれは、次のように言います。


 「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」。


 このように、キリストの福音のコアは、次の三点になります。

 1.キリストは、私たちの罪のために十字架にかけられた。
 2.キリストは、墓に葬られた。
 3.キリストは、三日目に復活した。

 パウロは、つづけて言います。
 

 「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」


 ケファとは、筆頭格の弟子だったペトロのことです。キリストはまずペトロに、ついで、かれのそば近くにいた12人のもとに現れました。


 「次いで、500人以上の兄弟たちに同時に現れました。」


 どういう状況なのか、正確にはわかりませんが、パウロは、死者の中から復活したイエスが、なんと500人以上もの人びとに現れたという証言を引いています。たとえキリスト者であっても、本当なのかと戦慄せずにはいられない箇所です。



メシア イエス・キリスト ケファ ヌミノーゼ パウロ ルドルフ・オットー



 キリストの道の原点には、復活という深淵的な出来事が横たわっている。このことはおそらく、いくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。


 もちろん、このことが事実であったと客観的なしかたで証明することはできないので、イエスの復活を受け入れるとすれば、信じることによって受け入れるほかありません。ただ、パウロをはじめとする初期のキリスト者たちの言動のうちには、なにか異様なリアリティに遭遇してしまったという印象を与えずにはおかないものがあることは確かです。


 死者が神によって復活させられるということ。ルドルフ・オットーという宗教学者は、恐れとおののきを引き起こすもののことをヌミノーゼと呼んでいましたが、イエス・キリストの復活こそは、ヌミノーゼ的な出来事のうちの究極のものといえるかもしれません。キリストは、この世に何よりも愛を伝えようとしましたが、そのことと同時に、メシアの知らせから恐れとおののきの次元を取り去ってしまうことはできないように思われます。