イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

『ロトの紋章』

 
 物事の自然な姿は究極にあるとアリストテレスも言っているので、いきなりではありますが、愛の究極のかたちについて考えるところから考察をはじめてみます。

 
 「与える愛とは、究極のところでは、見返りを求めない愛である。」


 通常の人間関係においては、ギブアンドテイク、あるいはWin−Winが基本です。けれども、究極の愛においては、与えた分のお返しが期待されることはもはやなく、ただ惜しみなく与えることだけが行われるのではないだろうか。


 相手が自分のことを無視し、あるいは憎んでさえいようとも、ただ与えて、与えて、与えつくす。「あなたの敵の愛しなさい」とは、まさにこのような生き方への呼びかけに他なりませんが、はたしてこのような究極の愛については、一体どう考えたらよいのでしょうか。


 最初に感じられるのは、このような生き方は人間にはあまりにもハードルが高すぎるのではないかということです。敵を憎まない、くらいならともかく、敵を愛しなさいというのは、いくらなんでも極端すぎるのではないか……。


 理屈のうえでは、このような愛が実現されれば、それが人間の倫理性の完成であることはわかりますが、実際にはこれはさすがにムリなのではないかというのが、ほとんどの人の実感なのではないかと思います。



ロトの紋章 アリストテレス 与える愛 アリアハン ギブアンドテイク アルス



 筆者が子供のころに愛読していたマンガである、『ロトの紋章』の「激突!アリアハン編」を思い出します。主人公である勇者アルスは、自分が守ろうとしたアリアハン住民たちに石を投げつけられながら、それでも決然として自らの身を魔王軍のもとに差し出します。


 「お前が来たから、このアリアハンが魔王軍に襲われたんだ!」自らの身の不安から、自分たちを助けに来た勇者を、それもまだ十代の半ほどにすぎない少年に石を投げる、アリアハン住民たち。もはや正義も何もあったものかという状況ですが、少年アルスはそれでも、「自分さえ行けば人々が助かるなら」と、石を投げられつつも獣王グノン率いる魔王軍に向かってゆきます。


 当時、まだ子供だった筆者は、それを読んで泣きに泣きまくりながらページをめくったことを覚えています。もはや、このブログなんてどうでもいいからとにかく『ロトの紋章』を読んでくださいという気になってきましたが、少年アルスの魂に敬意を表しつつも、こちらでは究極の愛についてもう少し考えてみることにします。
 
 
 
 
 
 
 

[「泣きに泣きまくりながら」は表現上の誇張なのかと助手のピノコくんから聞かれましたが、文字通りの事実です……!]
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)