イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

『ガラスの仮面』

 
 思い返してみると、『ロトの紋章』は、女剣士ルナフレアや老師タルキンが勇者アルスを守るために死んでいったり、賢王ポロンの両親が自分の村を守るために自爆呪文メガンテで命を捨てたりするなど、自己犠牲のスピリットをこれでもかというほどに示してくれた名作でした。

 
 登場人物の一人一人のことを思うたびに胸が熱くなりますが、あらためて考えてみると、『ロトの紋章』にかぎらず、この国の少年少女たちがマンガから受けとって育ってゆくものはまことに大きいといえるのではないでしょうか。


 たとえば、『ガラスの仮面』。美内すずえの最高傑作にして少女マンガの最高峰の一つに数えられるこの作品は、何よりも、主人公の北島マヤのうちに燃える魂の炎の激しさによって、読者の心を揺さぶらずにはおきません。
 
 
 北島マヤは、一見すると取りたてて特別のところのない、普通の少女です。しかし、彼女のうちには、芝居をすること、舞台のうちで自分ではない何者かになることへの、とどめようもない情熱がある。


 「わたし、お芝居をやっている時だけは、生きてるって感じがするの。」天才とは、すべてのものをふり捨てて、自分のうちで燃えたつ衝動に身を任せることのできる天分のことをいうのだと、この作品は語ってやみません。それにしても、美内すずえの描く北島マヤの、ひたむきさときたら……。筆者は、これほどまでに美しい魂の情熱の姿を、ほかに見たことがありません。



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 物語が展開するなかで、北島マヤは何度か役者であることをやめようとしますが、ひとたび演じることに向きあいはじめてしまったら、もう彼女自身にも彼女を止めることができません。


 生きるとは、こういうものでなくてはならない。それは、自分がそのために生まれてきた当のものに向かって、何の迷いもなく全力で命を燃やしつくすことです。


 最初は北島マヤのことを嫌っていたまわりの人たちも、時が経つにつれて彼女のことを認めざるをえなくなります。それは、彼女がいわゆる「いい人」だからではない。それは、その本質からいって明朗なものでしかありえない命の光の輝きが、生きるということそのものの善さを示すように輝くというそのことによって、必然的に見るものすべての息を呑ませずにはおかないからです。

 
 この辺りの事情については、カントの『判断力批判』における天才論などをあわせて考えてみたいところですが、すでに字数も尽きてしまったので、いずれまたの機会とすることにします。それにしも、北島マヤという少女のうちに示されている圧倒的なリアリティにひとたび目を奪われてしまうと、作者の美内すずえ先生のみにとどまらず、人間の創作活動の不思議さに畏敬の念を覚えずいられません。

 
 
 
 
 
 
 
北島マヤと『ドラゴンボール』の孫悟空のあいだには、理念において本質的なつながりがあるように思われます。]
 

 

 
(Photo from Tumblr)