イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

現状について自問する

 
 人生に悩むことは必要であるということで、今回の記事では、自分の実存のうめきを最後まで吐きだしておくことにします。


 「筆者にはもう、このブログで書きつづけることしか残されていない。」


 もう何度このことについて書いたかわかりませんが、おそらく、筆者にはまだこの状況がきちんと飲みこめていないのかもしれません。


 しかし、筆者にはアルバイト生活をしながら、この何がなんだかわからないものを書きつづけるしか人生の道が残されていないのは、火を見るよりも明らかです。明晰判明に真といいますか、ア・ポステリオリだが確実に真といいますか、いかんともしがたくアレーテイアといいますか、いずれにせよ明らかなことには変わりありません。


 何をやっても、どうあがいても明日がないという可能性もあります。しかし、philo1985よ、君はもう、すべてをあきらめたのではなかったのか。本当にあきらめているなら、君はなぜ今のこの瞬間に、こんなものを書いているのか。


 妄念を捨て去れ。ニルヴァーナだ。寂滅させるのだ。君の社会的な心臓はすでに停止した。ダイソーで売ってるホチキスの方が、君よりもはるかに有能なのだ……。



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 しかし、真の問題は、このように自分のことを書きつづけているということは、自分はまだ自分に価値があるとどこかで固く信じつづけているということです。


 自分はダメだ、自分はダメだと言いつづける人間は、本当は自分が好きで好きでたまらないのではないか。自分で自分をけなしているようでいて、本当は誰かに、あなたには価値があると言ってもらえるのを待っているだけなのではないか。


 それは確かに、そうかもしれない。というか、多分そうだ。でも、逆に自分を愛していない人間というのは、この世にいるのだろうか。


  僕は自分のことをダメなやつだと思うけれど、それでも自分がかわいい。それくらい、思っちゃダメなのかい。僕が僕を肯定しないと、僕のことを認めてくれる人間は、この世にはほとんどいないんだから……。


 もはや破れかぶれで何を書いているのかわからなくなってきましたが、今の筆者には、こういう作業も必要なのかもしれません。見苦しいところもあるかとは思いますが、この点については、もはや何も言い訳できません……!