イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

密やかなヒューマニズム

 
 しかし、人間性の探求という言葉には、人間のあるべき姿を追い求めるという意味も含まれているのではないか。そして、おそらくここなのだ、哲学や文学がこの世にもたらすものが何かあるとすれば。
 

 これは、哲学者や文学者が立派な人間だということではない。いや、立派だったらそれに越したことはないのであろうが、たいていの場合、彼らは色々な点で残念な人たちなのである。
 

 しかしだ、その残念な人たちが、それでも人の生きる道とは何かとか、俺の人生とは何だとか、僕はダメ人間だけど君のことが好きなんだ結婚してくれとか、色々書くわけである。そして僕は、そういうことが人間にとって、とても大切なことなのではないかと信ずる。
 

 いや、哲学や文学というのはいいものである。アクセスも来なければバズりもしないであろう。地味である。だが、ほんとにいいものである。
 

 僕にはわからない。自分なりには、これも哲学なんじゃないかとか、うおぉこれこそが文学だよちくしょうと思うものを書きたいと思っている。他の人からどう見えるかはともかく、自分ではなかなかいいものが書けたと思うこともなくはない。だけど、どうなのであろう。僕がやってることは、哲学や文学的に言って意味のあることなのであろうか。
 
 
 
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 最近、納得はしてきてるんだ。意味があろうとなかろうと、僕には書きつづけることしかできない。で、できる限り思ったこととか考えたことをそのまま書きながら人生の意味を問いつづけるというのが、おそらく僕にとっての書くということなのであろうなあ。
 

 ほんとはペトラルカとかエラスムスとか、ルネサンス期のユマニスト(人文主義者)たちがどうだったとかそういうことを書こうと思っていたのだが、全然違う方向に話が進んでしまった。ただ、この記事を書く前に心に浮かんだ「密やかなヒューマニズム」という言葉については、大事だと思うのでやはり書き記しておくことにする。
 

 わからん。ただ、哲学や文学を好きでたまらんという人がどこかでこれを読んでいるとしたら、僕はその人に言いたい。
 

 色々わからんが、僕はこういうことを書くのも哲学や文学なんではないかと思っている。でも、こんなとりとめのないものを読んでくれて、ほんとにありがとう。ヒューマニズムって言葉についてはこの後も、もう少し考えつづけてみることにする。