イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「私は福音を恥としない」

 
 「中高科通信は書けました?」
 

 うん。でも、それとは別の話なんだけど、ここ数日、ずっと考え続けていたことがあるのだ。申し訳ないのだが、いま少しのあいだ話を聞いてはもらえまいか。
 

 僕はやはり、このブログをキリストに捧げたいと思ったのである。色々考えてはみたけど、やっぱりこの辺りのことについてきちんと書いておかねばならぬ。
 

 「……。」
 

 今までも、何を書いていても最終的にはキリストを伝えるという目的はあったのである。でも、まずは哲学のことで信頼してもらえるようになってからと思っていたのだ。
 

 僕自身以外にはまったく興味の湧かない話なので、その点は申し訳ないとしか言いようがないのではあるが、僕の中で、哲学者として勝負してみたいという思いがあったのである。できるかできないかではなく、とにかくやってみるのだと思っていたのである。
 

 でも、今となってはどういう流れでそうなったのかはわかんないけど、とにかく信仰のことについても今の時点から真面目に書いてみたいという気になったのである。一言でいえば、神さまの道に向かってもっとがむしゃらに走ってみたくなったのだ。
 
 
 
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 わからない。くり返しにはなってしまうが、正直に言えば、キリストについて書き続けてたらアクセスが限りなくゼロに近づくのではないかという恐れは今でも全然ある。僕はやはり、人の目が怖いのである。おかしいやつだと思われるのを怖れているのである。
 

 使徒パウロは、「私は福音を恥としない」と手紙に書いていた。すごい言葉だ。キリストを伝えるって、本当に勇気がいる。まともな人間として見てもらえなくなるんじゃないかと思うと、日和らずにはいられないような気がしてくるのである。
 

 でも、それと同時に福音を伝えたいという気持ちも同時にある。きっとクリスチャンの人たちって、みんな多かれ少なかれそういう気持ちはあるのではなかろうか。これから、その辺りのことについて考えてみることにする。