イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

最近の状況

 
 しばらくただひたすらに哲学の議論を続けてきたので、少し自分自身の近況についても書いておくことにします。
 

 ここ3〜4ヶ月の間に人生が動き、とりあえず向こう数年は教育の仕事に携わることになりそうです。以前と変わらず、個別指導で小学生〜高校生と関わりつづけることになりそうですが、懸念であった「食い扶持をどうするのか」という問題に対しては、一応のところ道が示されました(なんとか、生活だけは維持できそうである)。
 


 ここでは詳細に触れることは控えますが、自分で模索したというよりも、何か大きな流れの中ですっと道が決まったという印象のある展開でした。助手のピノコくんを含む周囲の友人たちと共に「こういうことってあるんだなぁ」という感慨を抱かされた数ヶ月だったような気がします。

 

 教会の方でも教会学校の中高科への配属が正式に決まったので、こちらも少なくとも向こう数年は青少年たちと日々向き合いつづけることになりそうです。これも自分の意志で決めたことではないので、仕事のことも併せて、こういう人生になったことは何かとても不思議な感じがします。
 
 
 
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 聖書によると、人間は自分で自分の生きる道を決めるのではなく、まず神が人間に道を示し、しかるのちに人間はその道に従うのみであるとされています。
 

 正直に言って、個人的には、ここ数ヶ月の展開については「これはもはや、道を示されたと言ってもよいのではないか」的な側面があることは否定しがたいようにも思えますが(この点については、ピノコくんも同意している)、筆者自身があまりにも罪深すぎるうえに、信仰者としてもまだ駆け出しなので、そう言える確信もまだありません。
 

 中国の孔子も「私は50歳にして天命を知った」との言を残していますが、いつか、自分の人生は天命によって導かれていたと確信できるような日はやって来るものなのでしょうか。少なくともそれまでは、天の道に対する信頼を深めることができるよう、日々を模索しながらこの地上を這い回りつづけるしかなさそうです。