イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

思いやりとの分水嶺

 
 今日(5月28日現在)はハッスルした海外視察旅行の直後なので、目の前の現実が鬱すぎてやる気が出ないという本音はあるのですが、何はともあれ、哲学の探求を続けることにします。
 

 「忖度と思いやりの分水嶺はどこにあるのか。」
 

 媚びとへつらいからなる忖度という行為が、果たして本当によいものであるのかは大いに疑問であるといえそうですが、その一方で、相手に対する配慮をなくしてしまったとしたら、それはそれで隣人愛にもとるのではないか。
 

 いやもう、疲れたよ。楽しかったは楽しかった、というか、フィーバーしまくりの四日間だった。千人近くを前にしたステージで手拍子を叩きながら踊りまくったのとか、いい思い出だ。
 

 でも、疲れたんだよね。はっちゃけすぎた。今から思うと、ご当地で江南スタイルをおっぱじめかねないテンションだった。今日からまた仕事だけど、正直に言って今の僕には、セロハンテープを貼る気力すらもない……。
 

 忖度とか、そういや何か書いてた気もするけど、行く前の話だからもう忘れちゃったよ。僕はもっとサムキョプサルとかトッポギとか、そういう話がしたい。自分で始めた話の収拾がつかなくなるのって、やったのが自分だからほんとにもうどうしようもないもんだよね……。
 
 
 
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 本音で生きることは基本的には美徳であることは確かですが、本音を出しすぎてもどうなのかという状況は、おそらく無数に存在するのではないだろうか。忖度の帝国である私たちの国も、その点からいえば、少なくとも部分的には思いやりのあふれた国であるという側面もあることは確かであるように思われます。
 

 でもさ、ぶっちゃけて言うと、僕は日本人の感性とか人間関係の作り方とか、たぶん全体的に日本的なものがわりと嫌いな方なんだけど、でもそんなこと、みんなから嫌われてる人間が言ってもぶん殴られるだけだから、こっそり書いとこう。
 

 思うに僕みたいなのは多分、世界のどこに生まれても文句しか言わない類の人間なんだろうな。でも、ぶっちゃけ日本嫌いって言えない雰囲気出まくりの最近の日本とか、ほんと怖いんだよね。誰かに怒られたら怖いから、そろそろブツブツ言うのはやめて、大人しく黙っておくことにする……。

 


 結局、何が言いたいのかよくわからない記事になってしまったことについては弁解の余地はなさそうですが、次回以降はなんとか本題に戻ることにしたいと思います。それにつけても、思いやりについては、筆者自身、その絶望的な不足を大いに反省しなければならないと思わされます。