イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

死者の中からの復活

 
 メシアのことがわかったとして、一体どのようにしてその知らせを信じたらよいのだろうか。この問いにたいしてイエスはくり返し、次のように答えています。


 「もし、わたしのことが信じられないなら、わたしの行うわざによって信じなさい。」


 言葉だけで信じられないのなら、メシアのまわりで起こる出来事に目を向けなさい。大勢の人びとにパンを食べさせたり、水の上を歩いたり、病人を癒したりといったエピソードについては、聖書を読んだことがないという方にもよく知られています。


 しかし、神がメシアにおいて行ったといわれるわざの中でも、究極の中の究極のものともいえる出来事があります。それは、死者の中からの復活にほかなりません。


 聖書は私たちに、イエス・キリストは十字架にかけられ、墓に葬られたのち、三日目によみがえったと語っています。そして、イエスが復活したことを信じた弟子たちが最初のキリスト者となって、メシアの知らせを世に伝えはじめました。


 キリスト者にとって、この出来事はたとえ話ではありません。それはこの地上において現実に起こった事実であると、キリスト者は信じています。



イエス・キリスト メシア 神 十字架



 復活というイデーは人間の常識をはるかに超えているので、だれもがさいしょに聞いたときには「めちゃくちゃだ」と感じるのではないかと思います。


 ただ、神が存在するならば、神には不可能なことは何一つないので、死者の復活は論理的には十分に可能です。この出来事が、私たちのコモン・センスを破壊することは否めませんが、私たちのコモン・センスを破壊することも神の計画のうちに含まれていたのだとすれば、かえってきわめて合理的な方策であったともいえるかもしれません。


 「これが本当に神の計画なのだとすれば、神はなんと途方もないことを行なわれる方なのだろうか。」聖書の語る神がつねに人間を驚嘆させずにはおかない神であるということは、この本を読むうえでも重要なポイントなのではないかと思われます。