失恋した若者が、世界も自己もともに崩れ去ってゆく全面的な破壊のプロセスをその身に引き受けざるをえないのは、かれの内にある「完璧なあなた」の理念が、あらゆる存在者を断罪せずにはいないからです。
この段階までくると、もはや事態はほぼ完全に脱性化されて、若者のなかで起こるプロセスにはおよそ色彩感がなく、死の感覚に侵食されたものになってゆきます。
愛する彼女のうちからもどんどん経験的な内容が失われてゆき、ついには純粋で空虚な理念そのものとなります。
もはや、身体もなければ性もなく、言葉もなければ顔もありません。理念は、「完璧なあなた」というよりも、むしろ絶対者の理念と呼ぶしかないような、無機質でありながらすさまじい攻撃性をはらんだものに姿を変えました。
絶対者の理念は天の高みから、若者自身の自我を崩壊に向かわせます。
もはや、誰のためでもなければ、なんの喜びのためでもなく、ただ、理念の理念性のために徹底した破壊が行われることになる。このようにして、絶対者の理念は至高性に由来する断罪を行い、すべてのものを滅びへと導きます。
このように、失恋してのちの恋の体験の後半は、あの悪魔的な彼女とはほとんど何の関係も持たないものとなります。
それにしても、絶対者の理念との出会いは、なぜこのように、必ず破壊と死に至らざるをえないのでしょうか。
この問いにたいして明瞭な答えを出すことは容易ではありませんが、一つだけ言えるのは、もしも人間が本当に「完璧なあなた」と呼びうるような存在に出会いたいと願うならば、かれはまず、徹底的な自己否定のプロセスを経なければならないだろうということです。
絶対者、あるいは至高者の前に立つためには、それまでに築きあげてきた自己性を完全に捨て去って、死をも覚悟しながらその絶対的な他者に向きあう必要がある。
そうでなければ、かれは至高者の発する炎によって焼きつくされます。恋に落ちた人間は、至高なるものにあまりにも軽々しく近づこうとしたがゆえに、その報いを受けずにはおかないのかもしれません。