イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

隔たりと思いこみ

 
 そろそろ、無意味からの出口としての他者という当初の主題に立ち返ることにします。
 

 「わたしはある意味で、あなたには永遠に到達することができない。」
 

 他者であるあなたは、わたしの意識を超えています。したがって、わたしには、わたしの意識に映るあなたを越えて、あなたそのものに到達することはできません。
 

 この不可能性は原理的なものであるため、たとえどれほど長く関係を続けてゆくとしても、この不可能性を解消することはできません。この意味では、あなたはわたしにとって、いつまでも予測不可能な存在でありつづけるでしょう。
 

 この点から見ると、たとえば、「親しき中にも礼儀あり」という言葉の教えるところは本当に大きいといえるのではないか。
 

 あなたと親しくなればなるほどに、わたしはあなたのことをもう完全に知ってしまったと思いこむ。そして、そう思いこむことから、あなたのことを軽んじるようになるまでの距離は、かぎりなくゼロに近いといえるほどに短いのではないだろうか。
 
 
 
 
他者 存在 親しき中にも礼儀あり 永遠
 
 
 
 わたしとあなたの間には乗り越えることのできない隔たりが、いつまでも存在しつづけるということ。この点を忘れ去ってしまうと、人間は、関係をめぐる不幸のうちにただちに落ちこんでゆくことになります。
 

 「なぜ、あなたはわたしが考えているように考えないのか。そんな当たり前のことが、なぜわからないのか。わたしには、あなたは人間として間違っているようにしか思えない……。」
 

 そのように考えてしまう時には、まずもって、わたしの考える「あなた」なるものがわたしの中のあなたの幻にすぎないという可能性を検討してみる必要がありそうです。他者のイメージと他者自身を区別するという鍛錬は、それこそ一生をかけて続けてゆくべきものであるように思われます。