イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

Sorry,Ema……

 
 わたしの誕生というテーマには後にまた立ち戻ることにして、ここで次のような問いを発しておくことにします。
 

 「偶然性にもとづく倫理というものが、はたして本当に存在するのだろうか。」
 

 話をわかりやすくするために、別のたとえ話を考えてみることにしましょう。
 

 わたしはロサンゼルスに住んでおり、バーバラという女性と結婚してから、もう十年になろうとしています(安全上の理由から、設定は海外に移すこととする)。さて、わたしがバーバラとの結婚生活をこれからも円満に運んでゆくための秘訣の一つは、彼女との出会いが単なる偶然ではなく、ある種の運命(=必然)によるものだったと信じることであると言えるのではないか。
 

 バーバラとわたしは、出会うべくして出会った。もちろん、彼女とは合わないところだってたくさんある。メインディッシュの付け合わせには、もちろんフレンチフライがわたしにとっては一番だけれど、バーバラが好きなのはバターで炒めたマッシュルームだ。
 

 だが、それが何だろう。わたしはバーバラを愛している。彼女こそが運命の人だ。今度の結婚記念日には、『プロビデンス』にディナーの予約を入れておこう。揺れるワイングラスを片手に微笑みながらルージュをきらめかせる彼女はもちろん、わたしが出会った頃の天使そのものだ。
 

 こうして、必然論者たるわたしはバーバラと今年も、ごく普通に素敵な一夜を過ごすことでしょう。十年経っても変わらずに恋人同士でいられるアメリカの文化は羨ましいというほかないですが(わが国においては言うまでもなく、十年とは夫婦愛の完全な消滅を意味する)、それも、大切な記念日のため、仕事を入れずに夜の時間を空けておくわたしのちょっとした配慮と、お気に入りの80年代音楽をイヤホンで聴きながらジムで汗をながすバーバラの努力があればこそです。
 
 
 
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 彼女こそがわたしの運命の人だと信じているからこそ、わたしの彼女への愛は揺らぐことがありません。たとえば、職場でエマという年下の女性から熱烈なアプローチを受けたとしても、わたしの気持ちがぐらつくことは決してないでしょう。
 

 すまない、エマ。君は確かにすばらしい女性だ。僕だって伴侶もいなくて、もう十年若かったとしたら、君を気の利いたバーにでも誘って、口説こうとしていたかもしれない。
 

 でもいいかい、エマ、君も知っているように、僕にはバーバラという妻がいる。最愛の女性だ。君も去年のホームパーティーで、バーバラとはあんなに楽しそうに話していたじゃないか。彼女を裏切ることは、君にもできないはずだ。君がいつか君にふさわしい男に出会えるってことは、僕が保証するよ。
 

 カレッジでフロベールを学んでいた頃の面影をまだ残しているエマの、若さゆえの情熱の激しさにある種の新鮮な驚きを感じたことは確かですが、それはそれ、わたしは一滴のハチミツのために、とっておきのジャムの瓶をひっくり返すような人間ではありません。エマのことは未来の他の男性に任せることにして、わたしとしては、次の休暇でゆく地中海のヴィラでバーバラとどんな時間を過ごすか、想像をめぐらせて楽しむこととします。(つづく)