イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「学問よ、お前こそが俺の……」

 
 今回の話とは関係ないようでいてこの後すぐ戻るから、どうか聞いてほしい。僕は最近、思ったんよ。
 
 
 「……何ですか?」
 
 
 いやね、他の人からしたらほんとどうでもいい話だとは思うんだけどさ、でも同じ哲学の道をゆく猛者なら多分わかってくれるはず。人生がこれから進んでゆくべき方向が、二つあるとする。
 
 
 1. 売れてはいるが、その時代だけで終わりの哲学者。
 2.全然売れはしないが、哲学の歴史には残る哲学者。
 
 
 この二つの道があるとすれば、哲学徒がどちらを選ぶべきかは明白極まりないように思われる。そりゃもう、われわれとしては断然2の方を選ばねばならんのではないかね。
 
 
 「……はぁ。」
 
 
 仮に、1の道を歩めたとしてみよう。本で賞取ったり、監修した哲学アニメが売れに売れまくって、若者たちの間で哲学がバズりにバスったとするね。だが、僕は言いたい。だから何?
 
 
 「……。」
 
 
 これは負け惜しみで言ってるんじゃないぞ。いや、負け惜しみかもしらんが、もうほんと人文書の棚で話題になるとか、マジでファックなわけですよ。本屋なんかと結託してる場合じゃねえ。哲学史だ。男たるもの、ただもう、燦然と輝く哲学の歴史の殿堂だけを見据えて生きてゆくべきではないのか……。
 
 
 
哲学 ブログ 人生 神学 学問
 
 
 
 負けが込んでると自分でも何言ってるのか分かんなくなってくるが、とにかく、ブログを始めてからちょうど四年になろうかというところだが、僕はかつてないほどにふっ切れている。もう遠慮なしだ。ほんとはもっと放送禁止用語とか使いまくってバンバン攻めていきたいところだが、あんまり調子に乗りすぎると燃やされるからそこはガマンしなくてはならぬ。くそう。
 
 
 まいいや、それで哲学ですよ。言いたいこと言うからには、そのぶん実力も伴わせねばならん。倦まずたゆまず、哲学の大道をまっすぐに歩み続けねばならんのだ。地味な道だよ。だが、人生を賭けてみるだけの価値はあるのではないかと思うのである。
 
 
 というかね、もう哲学と神学のほかには、エネルギーの注ぎ先もないわけですよ。昔は人生ってもっと楽しいこと色々あるって思ってたけど、気がついてみると、人生ってやっぱり一番面白いのは学問だったのである。今さらだけど、学問はすばらしいものである。
 
 
 ここで駄弁を垂れ流しまくってることには、友よ、申し訳なく思う気持ちがないではない。だが、もし君が学問の道を歩む求道者であるのなら、世の中には自分と同じ道をゆく変わり者もいるんだなと思って、どうか大目に見てはもらえまいか。僕も、これからできる限り頑張ってみる。