テスト前の頼み事:
「悪いのだが、俺に世界史のノートを貸してはもらえまいか?」
「タピっちゃう?」(前回の記事参照)は親密な人間に向かってしか言えない性質の呼びかけでしたが、こちらの頼み事の方は、言える人の範囲がもう少し広がってきそうです。こちらならば、仮に頼み事をする当の相手とそれほど仲が良くなかったとしても、頼んでみたとしてもそれほど不自然ではありません。
悪友のEなんかは何も気にせず貸してはくれることであろうが、ヤツの字が丁寧で読みやすいとはとても思えんし、勉強のやる気も全然出ないであろう。やはりここは、クラスでも有数の歴史マニアである不自然では、おとなしメガネっ子ちゃんのFさんに頼みたいところではある。
Fさんはメガネっ子で、今のところは化粧やメイクには興味もないゆえに、クラスの男子どもの注目も浴びてはいない。だが、俺は知っている。Fさんはダイアモンドの原石だ。あの長いまつ毛といい、笑う時のえくぼといい、おとなしくて控えめそうな雰囲気といい、彼女の存在は、俺的に言えば霧の中の摩周湖のように、人々の目からは隠された自然界の神秘(UNESCO世界遺産指定級)だ。
Fさん、いや、ここまで来たら、もはやイニシャルで呼ぶわけにはゆくまい。船越さん。こないだバスケ部のチャラ男なんかと付き合いはじめやがったCなんかではなくて、ひょっとして、君こそが真のマイエンジェルなのか。今回のテストでノートを借りたことがきっかけになって、俺と君との間の距離は、否が応にも近づいてゆかざるをえないということなのか……?
若いがゆえのエネルギッシュかつ濃密なキモさ、いえ、情熱的な激しさによって突っ走ったA君は、勇気を出して、紆余曲折の末に船越さんからノートを借りることができました。
俺は今、とんでもないものを手にしている。歴史大好きな船越さん自身が彼女自らの手で書き上げた、本物のノートだ。
なんなのだ、このノートの充実ぶりは。授業でやったのは中国史のほんのさわりの部分だけのはずなのに、ところどころに船越さん特製の豆知識コラムが、事もあろうにプリティーなウサちゃんマーク付きで載っているではないか。さすが歴史部副部長だけあって、一度興味を持ったら調べ物をするのは厭わないというわけか……。
船越さん、今までに君の存在に気づかなかった俺は本当に馬鹿だった。罰として、俺のほっぺたにも君のウサちゃんマークを描いてくれ(意味不明)。俺にはもう、君しかいない。君こそが俺の楊貴妃であり、俺の心の中には、永久に陳勝・呉広の乱が吹き荒れている真っ最中なのだ……。
学校近くのファミリーマートのコピー機コーナーで夢うつつの状態になって放心しているA君には、もはや目前の期末テストの存在などは徹底的にエポケーする方向に突き進んでいますが、ここまで来たら、青年期に特有の傍若無人さで突っ走るほかありません。他者問題に関心を寄せている私たちとしては、もう少しだけ彼の魂の遍歴の行方を追うことにしましょう。