イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

推しと呼ばれる存在をめぐる、若干の考察

 
 本題からは若干逸れますが、ここで少し次の論点について考えておくことにします。
 
 
 論点:
 恋の体験は、推しを追いかけるよりも、はるかに不確定要素が多い。
 
 
 繰り返しになってしまいますが、「推し」(前回の記事に引き続いて、この主題を論ずる)の場合には、推しとファンたちとの間での齟齬の可能性がないような仕方でコンテンツが配信されています。ここではそのことに加えて、推しをめぐるコミュニケーションのシステムにおいては、一般に、コンテンツの共有という要素が非常に重要であることを改めて強調しておく必要がありそうです。
 
 
 Jちゃんの叫び:
 ねぇねぇ、この画像のKクンとか、ほんとヤバすぎるんだけど!私のこと殺そうとしてんの!?
 
 
 A君の妹と同じ中学校に通っているJちゃんは、とある歌手グループのメンバーの一人である、Kクンを推しています。上の発言は、同じ部活の親友であるLちゃんに向かって発されたものです。
 
 
 推しについては、同性の友達とその推しについて話せば話すほど、それだけ友人同士の間で盛り上がることができます。Jちゃんも、最近ではもっぱらLちゃん(彼女は彼女で、同グループの別メンバーを推している)とLINEや電話でお互いの推しの話で熱狂し、昼夜を問わず興奮しまくっているというわけです。
 
 
 
推し LINE SNS 同担拒否 攻殻機動隊
 
 
 
 Jちゃん本人もうすうす気づいていることですが、JちゃんはKクンが好きでたまらないからというよりも、本当はLちゃんをはじめとするファンの友人たちと盛り上がるのが楽しくて推しを推し続けているのかもしれません(推しの恣意性)。私たちの時代の文化産業においては、コンテンツそのものよりもコミュニケーションの方にこそますます大きな重点が置かれるようになってきているというのは、すでに誰もが知っている通りです(いわゆる「文化のSNS化」問題)。
 
 
 このように、推しという存在については、他者たちと共有しても構わないどころか、むしろ共有すればするほど盛り上がり、楽しみも増すように物事が整えられています。同担拒否(詳細な説明は割愛する)という現象は確かに存在しますが、それすらも穿った見方をすれば、嫉妬と憎しみというコミュニケーションを「楽しんでいる」とさえ言えなくはないのかもしれません。
 
 
 推しは誰によっても専有されることがないゆえに、潜在的にはライバルでもありえたはずの同性の友人同士の間で自由に流通することができる(ただし、直近の友人同士の間では、同じグループの中の一人を推すにしても通常は推すメンバーが重ならないように調整されることは示唆深い)。もはや、攻殻機動隊もびっくりの「ネットワーク存在」と化した推しのアイドルやキャラクターたちは、今日もこの国の電脳の海を縦横無尽に飛び回っているというわけです。
 
 
 恋の相手と推しとの違いという論点については、今回の記事では論じ尽くすことができませんでした。なかなか本来の主題にはたどり着きませんが、他者問題の探求というもともとの目的を見失わないようにしつつ、このまま先に進んでゆくことにしましょう。