イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

たった一人の誰かに向かって

 
 問い:
 「いいね」が見えるようになってしまった時代の哲学者はどのように語り、どのように生きるべきか?
 
 
 ブログを書き始めてからそろそろ四年半になろうとしているが、こういう話題を色々気にせずに書けるようになってきたことはよかったのかなって気がする。
 
 
 最初は何をどう書いていいかも全然わかんないから、とにかくやたらと気を使いまくってた気がする。だが、ここまで来てしまうと変に気づかいすることもなくなってくるし、さすがに気づかされる。誰に気を使うでもなく何に忖度するでもなく、ただ哲学しつづけるしかないと。
 
 
 いやさ、ふてくされるわけではないんだけどさ、結局いち哲学者が何書いたとしても、まあ当たり前だけど、世の中は全然動かないわけである。ペンの力で世界を変えるっていうのは、本当にすごいことなのであろうなあ。
 
 
 こんなブログでも、仮に読んだ人から「これはないわ」と思われるようなヤバいことでも書いたら、炎上くらいはするであろう。おそらく、そういうものが広がってくのは非常に速いであろう。
 
 
 でも、哲学というのはおそらく、話題のトピックとか炎上ネタの対極にあるものなのではあるまいか。地味に考え続けて、ほとんど誰も聞いていないところで語り続ける。少なくともそれが、僕にとっての哲学をするということなのだ。もっと派手でアゲアゲな雰囲気も体験してみたかったところではあるが、そういうのは今後もなさそうであるな……。
 
 
 
 いいね 哲学者 ブログ 炎上 きみ
 
 
 
 売れたりしたら、今とは全然違う風景とか見えたりするもんなのかな。よくわかんない。でも、気がついたら、僕は外に出るどころか、どんどん周りの小さい隣人ネットワークの中にこもっていってる。
 
 
 でもさ、それでよかったような気がするところも、なくはないのだ。ごめん、多分負け惜しみとかも、それなりに入ってる。でもね、結局この文章を読んでるか読んでないのかわかんない、たった一人の「きみ」に向かって語り続けるのが、自分の運命のような気もするのだ。
 
 
 世の中って、「みんなにとって重要」みたいな話題であふれてる。でも、こんなことに興味をほとんどないけど、それでもこれって面白いよねー、とか、こんな事聞いてくれるのって他に誰もいないよありがとね、とか、僕の人生ぜんぜんうだつ上がらないけどさ、でもきみと会えてよかったな、とか、そういうのってすごく大切なのではないかと思うのである。
 
 
 僕は今、静かな部屋の中、一人でこの文章を書いている。でも、この四年間、僕の書いたよくわかんない文章をありがたくも読んでくれた人たちとの、近くて遠い関係の中で、今でもここでこうやって書いてるんだろうなーと思うのである。この世のこんな片隅に転がってる文章を見つけてくれる奇特な人がいることには、本当にありがたいと思わずにはいられないのである。