イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「あなたは、殺してはならない」

 
 倫理については、いずれ機会を改めてもう一度論じることにしたいと思いますが、三つの輪の結び目について考えるために、もう少しだけ善なるものについて見ておくことにします。
 
 
 すでに書いたように、この現代という時代においては、絶対的な善なるものへの懐疑が、きわめて広く行き渡っています。けれども、その一方で、人間が決して侵してはならない掟のようなものは、本当にまったく存在しないといえるのでしょうか。
 
 
 たとえば、次のような原則はどうでしょう。「あなたは、殺してはならない。」この原則は、すべての人間が守るべきものであるとはいえないでしょうか。
 
 
 この点については、次のように言う人もいます。「本当は、この原則は人間の世界を成り立たせるためのものにすぎない。人を殺すことが悪であるとはかぎらないという考え方も、ありうるのではないか。」
 
 
 さまざまな意見があるかとは思いますが、僕は、この点については、「殺してはならない」という原則は誰にでも妥当すべきものであると考えます。そして、この原則の根拠を最後のところまで追いもとめてゆくならば、「神が、人間がそうすることを望んでいないから」というところにゆきつくのではないかと考えています。
 
 
 この論点についてはもっと詳しい説明が必要であることは、言うまでもありません。今のところ、形而上学にかんする今回の探求が終わりしだい、このトピックに取りかかることにする予定です。
 
 
 けれども、「殺してはいけない」というこの原則をめぐっては、ひとは相対主義的立場にとどまっているわけにはゆかないのではないかという点については、神の存在を信じていない人にも問題を共有してもらえるのではないかと思います。
 
 
 
倫理 善 ニヒリズム 現代
 
 
 
 「倫理の原則をすべて放棄しないならば、ひとはどこかで絶対的な善というモメントに触れる必要があるのではないか。」このように言うとき、私たちはおそらく、現代という時代の核心に触れる問いのうちに足を踏み入れています。
 
 
 そして、この問いがニヒリズムと三つの輪の結び目をめぐる問題圏につながっていることは、言うまでもありません。僕は、これらすべてのことについては、生きている神という存在に目を向けるとき、はじめて進むべき方向が見えてくるのではないかと考えています。
 
 
 かくして、絶対的な善という、どうしようもなく古びているように見えていたイデーが、まるで亡霊のようにして私たちのもとに回帰してくることになります。この点を確認したうえで、神の問いを追いもとめる哲学の立ち位置という、はじめの話題に戻ることにしましょう。