マス対コアという永遠の対立は、すでにプラトンが熱をこめてくり返し語りつづけたテーマでもありました。ところで、こうしたものの見方の根底には、「この世はバビロンである」という苦い認識が横たわっているように思われます。
バビロンとは、人間たちの欲望と罪が渦まく悪の巣窟です。この都に足を踏み入れたが最後、ひとは、それこそ血で血を洗うような凄まじい生存競争に飲みこまれることを覚悟しなければなりません。
バビロンでは、「すべてのバビロン人は嘘つきである」という恐ろしいルールがまかり通っています。アイドルの人気の裏には、事務所のどす黒い陰謀が存在している可能性があります。芸術大賞の選考は、たんなるコミッショナーサイドの政治でしかないのかもしれません。
利権をものにして、肉汁のしたたる高級焼肉を高笑いしながらほおばるか、それとも、スーパーのセールで買ったパックのめかぶをおかずに白米をぼそぼそと食べる生活に甘んじるのかは、まさに、バビロンでの闘争をどう勝ちぬくかにかかっています。このブログの筆者が後者のほうに属するのはいうまでもありませんが、個人的にはめかぶはそれほど嫌いではないので、この点についてはとくに不満はありません。
「USODARAKE CITY TOKYO」。これはこれで、異様に偏ったものの見方であるような気もしますが、あとで適宜修正することにしてとりあえず受け入れておくのも、何かの参考にはなるかもしれません。
バビロンに真理があると思ってはいけない。バビロンの住民たちは、真理なんてものには1ミリも興味を持ってはいない。君はよりによって、彼らに隣人愛を説こうというのか。まず間違いなく、彼らは君に食らいつき、骨の髄までしゃぶり尽くすことだろう。
池袋はジュンク堂の話題の人文書コーナーは確かに大きいが、そこには真理なんてないのだから、けっして足を踏み入れてはいけない。それよりも、君は荒野をめざすのだ。人間のいない荒野にこそ、永遠の真理が……。
などと主張する人がもしもいるとしたら、それはもはや完全な負け惜しみでしかないことは言うまでもありませんが、私たちとしてはもう少し、このテーマについて考えてみることにしましょう。