イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

この戦いに勝ち目はない

 
 「哲学は、つねに神との戦争状態に向かおうとする傾向をもっている。」神をも恐れないとは、なんとも罪深いという感じがしますが、まずは、最初に一点だけ確認しておくことにします。
 
 
 それは、もしも神が本当に存在するとしたら、この戦争には万に一つも勝ち目はないということです。まず間違いなく、神の知恵は、あらゆる人間の知恵を無限に超えでていることでしょう。
 
 
 そうなると、たとえ人間がどんな言葉を発するにしても、うつろな風にひとしいということになります。老練の哲学者が作りあげるどんな概念も、神にとっては子供の遊びのようなものかもしれません。
 
 
 あるいは、ルネ・デカルトの悪魔的な想像力にならって、次のような状況を考えることもできるかもしれません。神ならば、人間が何か正しいことを考えようとするたびに、誤りに陥らせることもできる。こうして、人間は生まれてから死ぬまで、ずっと迷妄のうちをさまよいつづけることになる。
 
 
 「すると、どうなるのか。神が存在するならば、これまでに行われてきた、ほぼすべての哲学の営みがひっくり返るとでもいうのか。」僕は、まさしくその通りなのではないかと考えています。少なくとも、そういう可能性のことは考えておく必要があるのではないか。
 
 
 
デカルト 悪魔 神 戦争 知恵の女王 哲学
 
 
 
 もちろん、神が存在しないという可能性も理論的にはありえます。その場合には、こうした想定は杞憂にすぎなかったということになるでしょう。哲学という知恵の女王が、およそ自分よりも上に立つものが存在しないことを確認して喜びおどる姿が、目に浮かぶようです。
 
 
 けれども、もしも神が存在するならば、女王の誇りは一瞬のうちに崩れおちます。知恵はどこにあるか。学者はどこにいるのか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではないか。
 
 
 そう言われると、なんだか妙にうさん臭いような気もしますが、どうも、論理的にはそういうことになりそうです。「もしも神が存在するならば、神との戦争に勝ち目はない。」今日は、これを結論としておくことにします。