イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

万物の終わり

 
 本題のメシアのほうに戻りましょう。このテーマについては、危険なポイントであることは否めませんが、次のような時代認識と切り離して考えることができません。


 「万物の終わりが、迫っている。」

 
 キリスト者の認識によるならば、イエス・キリストがこの地上に二千年前に現れた時から、世界の終わりはすでに目前に迫っています。


 もう二千年もたっているではないかという疑問はとうぜん浮かんできますが、神のもとでは二千年もあっという間のことにすぎないので、終末期がほんのわずかな間だけ引き延ばされているのだと考えることもできそうです。


 この世の歴史認識……古代→中世→近代→現代(区分には個人差あり)
 キリスト者の時代認識……ずっとこの世の終わり


 めちゃくちゃなカルトではないかという声も聞こえてきそうですが、まっとうな信仰者の場合、この歴史認識にもとづきつつ、ただ神の愛を宣べ伝えながら隣人愛の実践に燃えまくるというくらいです。犯罪には手を染めませんし、けっして怪しいものではありません……!



イエス・キリスト メシア 万物の終わり



 とはいえ、とくに初期のキリスト者たちはローマ帝国下ですさまじい迫害をこうむったようですし、その点については全く笑いごとではすまされないので、あまり時の終わりという論点を強調しすぎるのも考えものかもしれません。


 ただ、キリストの教えは「世界は終わりに近づいている」という切迫性と切っても切り離せなさそうなので、おそらくは、その点についてあまり妥協しすぎるのもよくないのではないか。語る時と場所を考えつつ、何よりも愛をつねに忘れずに、チャンスが来たら慎重に慎重を重ねつつ、しかも時に大胆に語るというのがよいのかもしれません。


 このブログでも、やっとこういうセンシティヴな話題について、おそるおそるではありますが少しずつ語ることができるようになりました。これまでの記事やコメントの蓄積がなければ、きっと書く勇気も出なかったと思います。表現にはできるだけ気をつけますので、よろしくお願いいたします……!