イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

リトアニアの思い出

 
 個人的な話になってしまいますが、万物の終わりというテーマについては、去年の春のポーランドリトアニア旅行のことを思い出さずにはいられません。


 この旅行は、クリスチャンの人とクリスチャンでない人が合わせて30人ほど参加した団体旅行で、僕は助手のピノコくんと二人で参加しました。


 アウシュヴィッツ強制収容所跡や、杉原千畝さんの足跡をたどるというのが旅の目的でしたが、その時の僕は精神的に瀕死状態だったこともあり、弱りはてつつも、万物の終わりというイデーの探求に取りつかれていました。


 一緒に旅に参加していた方たちはかなりフレンドリーだったので、移動中のバスやホテルのラウンジ、泊まった古い城の片隅などで、毎日、世界の終わりについて熱く楽しく(?)話してもらうことができましたが、今日の話は、リトアニアのヴィリニュスにある学校をみなで訪れた時のことです。


 その学校には、アメリカから家族とともにリトアニアに渡ってきて、イエス・キリストをその地で宣べ伝えることに生涯をかけている、アメリカ人宣教師のS先生がいました。


 今を逃したらチャンスはないと思った僕は、みなの前で話を終えたあとのS先生をつかまえて、ほとんど前置きもなしにいきなり尋ねました。



アウシュヴィッツ リトアニア イエス・キリスト ヴィリニュス



 「S先生、突然すみません。僕はいま、時の終わりにはキリストがふたたびこの地上に来るという聖書の言葉に悩んでいます。先生は、キリストがふたたびこの地上に来る日があるとお考えですか?」


 すると、意外なことに、物静かな雰囲気をたたえていたS先生の顔に喜びの表情が広がり、先生は叫ぶように言いました。「おお、なんと、今日のこの日に、会ったばかりの君にそんなことを尋ねられるとはね!」


 「philo君、きみはまだ信仰の道に入ったばかりのようだが、私たちキリスト者は何よりも、キリストの言葉を信じなくてはならないよ。いつでも心の準備をしていなさい。私たちがキリストに会う日に、かれにたいして恥ずかしい思いをしないために……!」


 僕たちが別れを告げてバスに乗りこんだ時にも、S先生は最後の一声を叫んでくれました。「philo君、『ヨハネによる福音書』だ。14章のはじめの数節を読みなおしなさい!」