イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

本音の貴重さ

 
 「心の内にあることを素直に語り合える友は、人生における真の宝である。」
 

 まずは、上の点を確認しておくことにします。この点は、逆にそのような友人がいなかったらと想像してみるとき、より明らかになるでしょう。
 

 社交の場での、人間同士のうわべだけの付き合い。若い日々には半ば暴力的なキャラコミュニケーションに巻き込まれ、年を経ても愛想を振りまくことに汲々とし続けなければならないとしたら、この世は完全な闇であるとしか言いようがありません。
 

 「僕はもう、この世が嫌なんだ。人間も嫌いだし、僕自身にもうんざりだ。」
 

 そのような、なりふり構わぬ本音を言い合える友との付き合いは、人生における恵みです。嘘だらけの陰険な地獄の中で苦しみ続けなければならないだとすれば、時には率直さという名のオアシスで、ひとときの休息を味わいたいもの……。
 

 この国には特に、本音で語り合うことをよしとしない麗しき伝統があるようなので、この地獄は人間にとってますます耐えがたいものになっていると、海外生活の経験者たちは口々に語ります。この点については、人間の心はそう簡単に変わるわけではないので、少なくとも私たち自身はこの「おもてなし天国」(そこでは弛まぬ情熱により、表面のコミュニケーションが芸術の域にまで高められている)で死ぬまで生き続けなくてはならないことは間違いなさそうです。
 
 
 
社交 人間 海外 おもてなし天国 インターネット 炎上
 
 

 それでは、言いたいことはリアルではなく、ネットで言えばいいではないかという向きもあるかもしれませんが、2018年5月現在の今日、この国のインターネット言論空間がリンチまがいの炎上天国と化していることは、もはや小学生にすらも周知の事実となっています。
 

 もう、僕は疲れたよ。僕自身もどうしようもないクズだけど、本当は、僕にだって言いたいことはたくさんある。でも、本音でしゃべったらいつどこで吊し上げられるか、わかったもんじゃない。みんな、安全なまま集団で引っ叩ける子羊を血眼になって探してるんだ。ここが地獄じゃないなら、一体どこが地獄だっていうんだい……。
 

 ……と言いたくなる人が出てくるほどこの国に絶望している人間がいるかどうかについては、筆者は判断を下すことは控えますが(筆者自身には無論、そのような不満はない)、いずれにせよ、どの時代のどの国であろうと本音を言える環境が貴重なものであることは、変わりがありません。「おぼしきこと言はぬは げにぞ腹ふくるるわざなり」を、今日の結論としておくことにします。