……たとえば、今までずっと読み続けてきた小説が、つまらなかったとするね。
「……それで?」
期待して読み始めたのに、150ページ読んでみても面白くも何もなかったとしよう。もうどうしようもない、今まで読み続けて損した、途中だけどもういいやって思ったとする。ところがだ!
「……?」
もうやめてやると思ったままにそのページで、ものすごい衝撃を食らうわけだ。なんだこれ、すごすぎる、これってもはや面白いとかそういう次元じゃない、これこそ文学そのものだ、みたいな。
書く人間はおそらく、そういうものを目指すべきなのではないか。魔法の1ページと言ってもいいかもしれない。それまでつまらなかったのなんて全部吹っ飛ぶくらいの奇跡である。火で精錬された、純粋な金のような……。
エンターテインメントっていうのは何よりもまず、よくできてないといけない。人を退屈させちゃいけないし、細部のクオリティーが低くてもいけない。ところがである。実際の人生には退屈なこともあれば、クオリティーなんて言葉は出す余地もないくらいに惨めなこともある。立ち上がるどころか、ぶっ倒れたまま、動かないでいることだけが唯一の慰めっていうような時もある……。
……しかしである、現実の人生のすばらしいところは、フィクションにしたらかえって嘘くさくなるっていうくらいの奇跡も起きるというところにあるのではないか。
それは、まわりからしたら何も起きてないように見えるかもしれない。かわいそうだなこの人って思われてる可能性すらある。しかし、本人からしたらもはや死者の中からの復活としか思えないような、逆転満塁ホームランというものがある。そして、そういうものはおそらく、本当の意味で作家と呼ばれる人々にしか書けないのではないかと思うのだ。
作家はどこかで、負けたことがないといけない。勝ちまくってる人に起こった奇跡って言われても、少なくとも僕はあんまり読む気がしないのである。すごい、この人負けまくってるけどなんかすごい、ていうかこの人って負けてるんだっけ、いや、誰がどう見ても負けまくってるんだけど、ひょっとしたらこの人、これ以上ないってくらいにバカ勝ちしてるんではないか……。
そういう風に思わせるくらいの魔法の1ページに、なんとかして到達したいものである。ルサンチマン?いやいや。それはそんなものものの影すらまったくない、純然たるバカ勝ちなのだ……。