イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

問題への予備的考察

 
 最初に、次のような疑問について考えておくことにします。
 
 
 哲学者への疑問: なんでわざわざ、フィクションが悪なのかとか考える必要あんの?別に面白かったらそれでいいんじゃね?
 
 
 この疑問に対しては、たとえば、次のように答えることができるかもしれません。
 
 
 疑問への回答: 一見すると問題がないように見えていても、実は人間に無視できない害を及ぼしているという事物は無数に存在します。
 
 
 極端な例でいうならば、たとえばドラッグをはじめとする中毒性の強い習癖は、本人からするとよいものに見えていたとしても、実際には害の方がはるかに大きい場合が少なくありません。
 
 
 フィクションの場合についても、程度は異なるにしても、同じような事情になっている可能性は否定できません。たとえば、よくなされる議論ではありますが、あまりにも暴力性の強い作品や、あるいは、暴力をあまりにも完璧に美化して見せてしまう作品は、人間や社会に対して悪影響を与える可能性がないとは限りません。
 
 
 ある意味でもっと深刻なのは、少し見たところでは全く何の問題もないように見えながら、実は人間の心をゆるやかに、しかし着実に堕落させてゆく類のフィクションも存在するのではないかという問題です。こちらの方はほとんど誰からも告発されることがないだけに、もしもそのような場合が本当にあるとすれば、悪影響が際限なく広がってゆくのを丸ごと放置されている可能性が極めて高いので、そのようなフィクションを流通させている社会の将来が懸念されます。
  
 
 
フィクション 悪 暴力 炎上 アニメ ネガティブ
 
 
 
 注意しておきたいのは、世の中で流通しているフィクションの作品はすでに相当数の人々の支持を得ているので、具体的に名前を挙げてそれに批判を加えるとすれば、かなりの反発を予想しなければならないだろうということです。
 
 
 これ多分、絶対そうなんじゃないかと思う。ていうか今の時代って、燃やせそうなもんは全部燃やすっていうすさまじい衝動に駆られてるネット自警団みたいな人たちがいて、ヤバそうなもんがあったら、どれだけ低アクセスだろうと見つけ出して即座に炎上させて燃やし尽くすみたいな感じになってると、風の噂に聞いたのである。ぶるぶる。
 
 
 このブログも色々書いてるけど、幸いなことに、未だに炎上はほぼゼロである。僕も人格的にはカスであるとはいえ、書いてもよさそうなことと、書いたらぶっ叩かれそうなことの区別は、一応つけているつもりである。だけど、かりに大人気の漫画とかアニメでもクソミソにけなそうもんなら、もう目も当てらんないくらいの大火事になるだろうから、その辺はマジで大人しくしておこう……。
 
 
 そういうわけで、今回の探求においては、具体的な作品名を挙げながらそれを批判することは控えることとしますが、考えてみれば、そもそもにしてからが生来のお人好しである筆者には、ある特定の人や作品に対してネガティブな感情が生まれてくるはずもありません。筆者は、自分でももう少し物事を斜めから見たほうがいいのだろうかと思うくらいの純真な人間であり、「〜とか、ガチで正真正銘のクソ作品」「〜が売れてるとかマジでゲロ吐きそう」「〜のファンどもには、俺がいつか天誅を下す」といった否定的言辞とはおよそ無関係であることを前もって断っておくことにします。