イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「最大の不幸」

 
 あれからやはり気になってエピソード8を見てみたが、意外と面白いんじゃね……?というわけで、「エピソード8、実は見るべきものもなくはないんじゃないか問題」をいずれ提起したいものだが、この問題は簡単には決して片付かない大仕事になるであろうことは間違いなさそうなので、とりあえずは本題に戻ることにしたい。
 
 
 論点:
 大部分の人々にとって、死ぬことは最大の不幸の一つである。
 
 
 もちろん、僕もこの「大部分の人々」の一人なのである。死ぬのめっちゃ怖い。こう書いてる今も胃腸の調子は決して最高というわけではないので、なんかイヤ〜な気配が立ち込めてる感じで若干萎える……。
 
 
 しかし、世の中には「自分的には、むしろ死にたいんですけど」という人もいるから不思議である。それなら君の寿命を存分に分けてくれと思わず言いたくなってしまうところだが、人類のうちには、僕のような「生きたい派」だけでなく「死にたい派」も少なからずいることは忘れてはなかろう。
 
 
 この二つの派閥の実際の割合は、どうなっているのであろうか。基本的には、死にたい派ってかなりのマイノリティであることは間違いないんだろうけど、なんか、僕の周りには死にたい派がやたら多いように思われるのは気のせいか。と言っても、単に哲学気質な人々の間で死にたい派のパーセンテージが高いだけなんではないかという気もするが……。
 
 
 
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 まいいや、本題に戻る。僕をはじめとする「生きたい派」の人々にとって、死ぬことは悪である。というか、悪であるどころか、人生の中でもぶっちぎりで最大級の悪であると言ってよかろう。
 
 
 なぜというに、まあ当たり前だけど、たとえば僕が今のこの歳で死んじゃうとしたら、哲学の完成を目指して日々踏ん張ってる今のこの人生も全部おじゃんである、少なくとも、人間の側から見るとそのように思えてしまうのは無理もないのではないかと思われる。与えられている人生には感謝しなければならないとはいえ、うおお、まだ死にたくねえ。
 
 
 ……って書いてると、若干本気で心配になってくる。先にも書いたように、僕は最近では逆流性食道炎の調子もかなり良くなってはきたものの、ここ二日くらいはあんまり調子良くないんよね。なんか、イヤ〜な感じの微妙な違和感がある。まあこんなこと書いてもしょうがないといえばしょうがないんだけどさ、いやあ、やっぱり死ぬのって嫌だなあ……。
 
 
 今日はグダグダの記事になってしまって非常に申し訳なかったような気もするが、何が言いたいのかというと、「とにかく、死ぬのってやっぱり嫌だよね」という一点に尽きるのである。何を今さらという感もあるかもしれないが、この一点に少しでも同意してもらえたとしたら、筆者がこの記事で伝えたかったことはほぼ伝わったのではないかと思う。つまんなかったらごめん。