イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

問いのうちにとどまること

 
 「もしも存在することそれ自体が悪でしかありえないとしたら、それならば、わたしはなぜ生まれてきたのか。」
 

 生きることのみじめさをめぐる問いかけは、どこかの時点で必ずこの地点にたどりつくことになるのではないか。
 

 「人間にとって最もよいのは、生まれてこないことである。」この言葉の意味するところは重い。人間は果たして、この言葉の耐えがたさのうちにとどまりつづけることができるのだろうか。
 

 「なぜ無ではなく、なにものかが存在するのか。」ライプニッツが定式化したこの問いは、おそらく実存することのパトスを受けとめることのうちでしか、十全なしかたで考えぬくことができないものなのではないか。
 

 「答えのない問いを考えることに、意味などあるのか。」しかし、取りつくろうだけの答えの中で欺かれるくらいなら、むしろ問いのうちで呻きつづけるべきではないのか。
 

 この問いには、これが絶対に正しいといえるような答えはありません。それでも、この世に生きるすべての人は、いつでもこの問いについて考えるように呼びかけられつづけています。
 
 
 
ライプニッツ 人間 パトス 現実
 
 
 
 現実から目をそらすことなく、物事をあるがままに見つめつづけること。この世にこれ以上に困難なことが、はたしてどれほど存在するだろうか。すべての現実を耐え抜くことができるほどに強い人は、おそらくこの世に存在しないのではないでしょうか。
 

 私たちは、逃げつづけながら生きている。隣人の悲惨を見なかったふりをし、わたしにはどちらにしろ何もできないと、いつまでも自分自身を欺きつづけている。
 

 私たちにとっては、自己自身も他者たちも、受けとめるには重すぎるのかもしれません。それでも、「逃げるのをやめて、物事をあるがままに見つめなさい」と、問いかけの声は私たちに呼びかけつづけています。