イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「『呼び声』を聞いてしまったら、元に戻ることはできない」:生の本質について考える

 
 呼び声の性格を見定める作業から導かれてくる帰結を引き出すという試みも、そろそろ大詰めを迎えつつある。前回に見た「『それ』が呼ぶ」に続く箇所を引用しつつ、考えてみることにしよう。
 
 
 「『それ』が呼ぶ。期待に反して、否むしろ意志に反してすら呼ぶ。他面では呼び声は疑いもなく、私とともに世界内で存在している或る他者から到来するのでもない。呼び声は私のうちから到来し、しかも私を超えて到来するのだ。」(『存在と時間』第57節より)
 
 
 「呼び声は私のうちから到来し、しかも私を超えて到来するのだ。」この表現から見えてくるのは、私たちの生は、私たち自身の思惑をはるかに超えて進んでゆくという実存論的事実に他ならないのではないだろうか。
 
 
 現存在である私たちはそれぞれ、自分自身の人生についての何らかの見通しやプランを持ちながら、日々の生活を送っている。しかし、すでに見たように、「わたしは〜すべきではないのではないか?」「〜すべきなのではないか?」という内的な示しの経験は、わたし自身の予想をも超えるような仕方で、わたしに近づいてくる。「呼び声は私のうちから到来し、しかも私を超えて到来するのだ」とは、そうした内的な示しのパラドキシカルなあり方を指し示そうとする試みのうちで案出された表現に他ならないと言うこともできそうである。
 
 
 ここには、いくら注意しすぎてもしすぎることはないというほどに重要な実存論的事実があると言えるのではないか。人間の実存は、その人間の思惑を超えて到来するような内的な必然性に従って、先に進んでゆく。その意味で、生きるという過程は「まさかこんなことになるとは」という驚きから、決して切り離すことができないのである。わたしは何を望むのか、一人の人間として、何を大切にするべきなのかというこの一点もまた、「内なる声」による示しに従って少しずつ移り変わってゆく。『存在と時間』の議論の核心部は、この驚くべき事実に注意を向けることなしには、決して十全な仕方で理解することができないのではないだろうか。実存の本来性としての「決意性」は単なる決断主義ではなく、むしろ「内なる呼び声に聴き従うこと」として実現されることになるだろう。
 
 
 

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 ここから言えるのは、良心の呼び声についての分析を進めることはそのまま、「新しい人間」として生き始めるという課題を遂行することに他ならないということなのではないかと思われる。以下、この点について考えてみることにしたい。
 
 
 後に詳しく見るように、良心の呼び声を聞いて、それを本来的に理解することは、そのまま「これまでとは違う、『新しい生』を生き始めること」を意味する。つまり、「内なる呼び声」というのは、ひとたびそれを聞いてしまったら、もう元の生き方に戻ることはできないという性質を持っている。実存というのはまさしく同じ所には決してとどまることのできないプロセスをなしているのであって、その進む速さは時々に応じて異なってくるにしても、「内的な必然性に従って、後戻りのできない仕方で進んでゆく」というこの一点に関しては、動かすことができないのである。
 
 
 そうであるとすれば、「『内なる呼び声』の経験とは、どのようなものか?」という問いを立て、それを分析してゆく作業それ自体もまた、呼び声の示す方向に向かって違う人間へと生まれ変わってゆくという企てを実行することになるのではないか。哲学の営みは、生きることを外側から眺めつつ、それを客観的に分析するといった作業にとどまることができない。むしろ、哲学するとは、生きることそれ自体の一部をなすもの、あるいは場合によっては、その根源かつ核心をなすものに他ならないのであって、哲学する人間は考えるという企てに打ち込むことの中で、「生きるとはこのようなことであったのか!」という驚きに絶えず直面し続けることになるのではないだろうか。次回の記事では、ここまで見てきたことを前提にしつつ、『存在と時間』の議論の示唆するところを探ってみることにしたい。
 
 
 
 
[ここ数回は新しい話題に進んでゆくというよりは、ひたすら地道に議論を掘り下げるという作業に取り組んでいましたが、次回からは次の話題に進むことにしたいと思います。「呼び声」そのものの方に話を戻すと、「内なる呼び声」を聞いてしまったら元に戻ることはできないというのはとても重要で、筆者自身、この一ヶ月は自分自身の生き方について改めて考え続けています。悩みは尽きませんが、哲学を続けられていることのありがたさは認識しなければと自戒させられています。ともあれ、読んでくださっている方の一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]