視点を変えて、別の角度からも事態を眺めてみることにします。
「わたしという主体は唯一的ではあるが、それにも関わらず、ただひとりで孤絶して生きてゆくのではない。」
おのれに固有の存在可能性を選びとることは、あくまでも唯一的であるこのわたしに委ねられています。けれども、わたしが出会い、語りつづけてゆくあなたは、わたしのうちに新たな生の開けをもたらしつづけずにはおきません。
わたしにとって他者であるあなたは、いわばもう一つの別の世界です。あなたには、宇宙がわたしとは異なったしかたで開けている。あなたには、わたしとは根底的に異なったものが見え、聞こえているのではないか。
他者の世界は、わたしの意識を超越しています。この意味からすると、あなたの世界は文字通り、わたしの想像を絶対的に超える世界であるといえる。
語りあい、その中であなたの声を聞きとることのうちで、この別の世界のしるしがわたしの意識にまで届きます。このしるしは、もしもそれを心から受け入れようと努めるならば、わたしにも新たな開けをもたらさずにはおかないでしょう。
あなたからもたらされるこの別の世界のしるしは、それに心を向けていなければ容易に見逃してしまうほどにかすかなものです。実際、唯一的な主体であるわたしはそのようにして、他者たちのもたらすしるしを受けとりそこないつづけている。
わたしはいつでも、他者の声を聞き逃しつづけながら生きている。おそらく、世界がわたしにとって無意味なものに見えているのは、わたし自身がこのように他者たちのしるしに、みずから目を閉ざしているからなのではないか。
あなたから与えられるしるしによって、わたしの世界が別のしかたで開けるというのは、まさしく神秘とも呼びうるような出来事であるようにも思われます。わたしには、唯一的であるにも関わらず、あるいは唯一的であるがゆえに、超越であるあなたのしるしを迎え入れることが許されているといえるのかもしれません。