イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

モヤモヤする気分について

 
 「気分は、人間の自由にはならない。」
 

 この文章を書いてる現時点において、重大な危機では全くないが非常にモヤモヤするある話が持ち上がっており、気分が晴れないのである。
 

 この話自体は今の話題とは関係ないのでこれ以上触れないが、久しぶりのモヤモヤなのである。こういう気分って、自分ではなかなかどうしようもないのである。
 

 古代の哲学者たちは、気分をコントロールすることを哲学の務めの一つとしていた。テンプレといえばあまりにもテンプレではあるが、ストア派のアパテイアとは、モヤモヤどころか、何ひとつ揺れ動くことのない、寂然たる水面のごとき精神の境地のことを指すのであった。
 

 正直、僕も昔よりは、自分の気分をコントロールできるようになってるとは思う。ていうか、十五年間も哲学の勉強をしまくって心に平安が何ひとつ訪れてないとすれば、もはや無残としか言いようがない気もするが……。
 

 いやごめん、やっぱムリかもしんない。今のこの気分は、THE・モヤモヤ状態としか言いようがないのである。この世には、やはり永遠の平安はないということか……。
 
 
 
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 もともとはハイテンションについて考えようと思っていたのに、モヤモヤしてたらそれすらもできない。そのことを考えると、気分って今さらだけど、人間にとってものすんごく重要なものなんじゃないかって気がしてくる(cf.ハイデッガー哲学における情状性の概念)。
 

 一生のあいだ何を考えることができるかって、根深く気分に左右される。
 

 てことは、恵みと平安に満たされた気分で生きていれば、この世においても愛とか平安とかについて考えることができるかもしれないけど、大体いつも沈んだまま生きてるとすれば、もうムリだよ、とか、人生とかもういいよ、とか、下手したらもう全部いいよ何もかも全部早く終わってくれよちくしょう、なんてことになりかねない。この意味でいうなら、気分とは人生そのものとすら言えるかもしれぬ……。
 

 試しに三十秒くらい踊ってみたけど、一向にこのモヤモヤは晴れそうにないのである。まだ踊り足りないのか、それともエピクテトスのような精神の練達が足りないのか。四民平等の世の中だとしても、気分の奴隷でありつづけるなら救われないのである……。