イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

心の原初へ

 
 これまで原罪の神話とでも呼ぶべきストーリーにしたがって進めてきた議論は、「思考」から「心」へとタームを移しても、そのまま成立します。
 
 
 原罪が入りこむことによって、人間の心は、神の存在を受けいれることができなくなりました。こうして、心は根の深い無神論を抱えこみながら、どこまでもさまよいつづけることになります。
 
 
 この状態から解放されるためには、心は、いわば原初の状態へと戻らなくてはなりません。いわば、この世界のうちに生まれ落ちる以前の状態、私たちがまだ名前を持たなかったころにまでさかのぼる必要があります。
 
 
 自然のなかを散歩したり、芸術に触れたり、互いに愛しあったりすることは、人間の心に、もともとの透明な姿を取りもどさせます。ひょっとすると、哲学をすることも、こうしたことのために少しは役立つかもしれません。
 
 
 自らの原初へとたどりついたとき、心は、自分が生まれてきた根源を、あるがままに受けいれることができるようになるはずです。こうして、人間はようやく、本当の意味で神のもとに帰ってゆくことができるようになるでしょう。
 
 
 
原罪 神話 心 思考
 
 
 
 「まるで、おとぎ話だ。」確かに、きちんとした手順を踏んで証明することがきわめて難しい話ではあります。けれども、この世には神話のようなかたちをとってしか語れない真理もあると考えることもできるのではないでしょうか。
 
 
 実は、このようなことを主張しているのは、このブログの筆者だけではありません。たとえば、ジャン・ジャック・ルソーは『エミール』という本の中で、これと大変によく似た議論を展開しているようです。
 
 
 今は目の調子がよくないため、ここで詳しく紹介することができないのが少し残念です。子どもと自然と神をめぐるルソーの思考について知りたいという方は、ぜひ直接にページをめくってみてください。読んだのはもうずいぶん昔のことですが、とてもいい本だったと記憶しています。