イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

日曜日の小さな失敗

 
 ツイッターに、意味不明な文章を載せてしまった。実質的なダメージが大きいわけではないとはいえ、後悔先に立たずとは、まさしくこのアプリにこそ特に当てはまる寸言であるように思われます。
 

 筆者は自分自身のツイッター上に、このブログの記事のリンクと短い文章とを1日交代で載せています。後者の方は、主に哲学という営みそのものに対する140字の言葉を、自戒の意味をこめて書き続けているものです。
 

 今週の日曜にはそのツイッターの方の日に当たっていたのですが、思わぬ寝坊をして、家で文章を推敲する暇がなくなってしまいました。
 

 そのまま教会学校の中高科のクラスに出て、その後もあれこれ人と話をしているうちに、時刻はいつの間にか13時になってしまいました。いつもだと朝の9時半から10時前後にはツイートしているので、やはり何となく収まりのよくない気分に襲われます。
 

 そこで、目の調子のよくない筆者は、ふだんから話をさせてもらっている高校生のH君にスマホでの文章入力と校正を頼むことにしました。断りきれずにこの面倒な仕事を引き受けてくれたH君には感謝というほかありませんが、結論からいうと、その日のツイートは以下のようなものになりました。
 
 
 
ツイッター 140字 教会学校 カント レヴィナス 哲学 倫理
 
 

 「哲学と倫理の関係がどのようなものか明らかではありませんが、カントやレヴィナスのように、倫理を哲学の中心に据える人は少なくありません。社交性そのものに抵抗を覚える人が多いその意味では初発から躓いているとはいえ、哲学徒は人間とどのように関わるべきかという問いからは逃げられないようです」
 
 
 前半は特に問題ないとはいえ、後半は、何らかの情緒不安定か精神錯乱のうちにある人間が書いたのではないかとも思われる仕上がりになっています。ふだんのツイートでは最後に「。」を付けているので、この回だけ「。」が付いていないことも前述の懸念を強めているといえるかもしれません。
 

 このことについて、手伝ってくれたH君には非が全くないことは言うまでもありません(余談ではあるが、筆者は現在、面倒な仕事を押しつけたことでH君との親密度が低下したのではないかと恐れている)。ひとえに、最後にレイアウトをチェックして、()と「。」の欠落を修正することのなかった筆者自身の詰めの甘さに由来する事故であったと言うほかなさそうです。
 

 寝坊してしまったことのツケがめぐりめぐって後のミスにまで響いてしまったという意味では、この件から学ぶことは少なくないといえます。「何らかの乱れは、必ず何らかの結果を生まずにはいない(cf. 抑圧されたものの回帰)」を教訓の一つとしつつ、次からは文字入力ミスのないツイートを心がけたいところです。