イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

人生最後の一日

 
 論点の再提出:
 もしも、死んだら無になるのであるとすれば、われわれが存在していることにも意味がなくなってしまうのではないだろうか。
 
 
 もしも今日が最後の一日だとしたらというのは、映画やドラマでもよくあるシチュエーションである。この想定を手がかりにして上の論点について考えてみるために、まずは、何を食べるのかという点から始めてみることにしよう。
 
 
 人生最後の日にも、別に食べても食べなくても結末は変わらないのではあろうが、まあおそらくは誰でも何か食べるは食べるであろう。かく言う筆者も、最後の記念(?)に三食きちんと食べるであろうことは間違いない。さて、何を食べるか……。
 
 
 あくまでも最近の個人的なトレンドではあるのだが、ていうか前回も書いたけど、今だったら僕はウェンディーズのベーコネーター・ダブルを食べるであろう。これは、とてつもなく分厚い二枚の肉に加えて、ボリューミーなベーコンまで挟んであるという素晴らしい一品で、がっつり食べてる感がハンパないのである。別に僕は、ウェンディーズの回し者でもなんでもない。ただ、ベーコネーターの素晴らしさを、一人でも多くのB級グルメフリークの同志たちに伝えたいというだけなのである。
 
 
 そして、これもまたあくまでも最近の流れからしてということであるが、やっぱりスター・ウォーズは外せないよ。一日中見るというのはさすがにないけど、まあ一時間は見ようかな。どのシーンがいいかな。やっぱり、エピソード4でルーク・スカイウォーカー(彼の武勲に栄光あれ)が夕日を眺めるシーンは外せないよ。おお、SWシリーズよ、ありがとう。お前は僕の人生そのものであるよ、うるうる……。
 
 
 
ウェンディーズ ベーコネーター・ダブル B級グルメ スター・ウォーズ エピソード4 ルーク・スカイウォーカー ナブー ムスタファー スカリフ 存在の哲学
 
 
 
 ……というわけで、ここまでの考察というか空想からもわかるのは、たとえ死が無になることを意味するとしても、人間は、最後の思い出作りをせずにはいられないであろうということである。
 
 
 人生よ、夢をありがとう、ということである。たえず胃腸の調子が気になっていた僕だけど、ベーコネーターを始めとする夢の食べ物たちを食べてる時には、至福の気分になれた。そして、僕はここのところはどこにも旅行してなかったけど、SWのおかげで、ナブーとかムスタファーとかスカリフとか、色んな星々を冒険できたのである。
 
 
 ありがとう、僕の人生よ、ありがとう。感無量である。この人生で与えられている恵みは、本当に言い表せないほどに大きいと言わざるをえないのである。
 
 
 ここからは、たくさんの帰結を引き出すことができそうであるが、ひとまず分かるのはやはり、与えられている今の人生に感謝することはとても大切ということであろうなあ。ベーコネーターとか、ほんとにうまいのであるよ。興味をお持ちの方は、ぜひともダブルを食べることをお勧めする。その日の幸福は、少なくとも1.3倍増しにはなるであろう。
 
 
 至極フツーなことしか言ってないような気もするが、人生とか哲学で大切なことって、至極フツーなことをどこまでも深く味わうことなのではないかという気が、最近ではしているのである。次回は今回考察した論点を、存在の哲学の観点から捉えなおしてみることにする。今回は個人的な話が多くなってしまったが、読んでくれた人にはただもう感謝というほかないのである。日々このブログを書かせてもらっていることも、人生の計り知れない恵みであるなあ……。