イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「デカルト革命」:一人の思索者は、いかにして当時の哲学の世界を徹底的な仕方で転覆したか

 
 私たちは、「賭け」についての『パンセ』の議論の歴史的側面にも注目しながら、パスカルの立場について、もう少し掘り下げて考えてみることにしたい。
 
 
 論点:
 「賭け」についてのパスカルの議論のうちには、彼がその最晩年の思索において、全実存を賭してデカルト主義と闘ったことの痕跡が刻まれていると言えるのではないか。
 
 
 今回の記事では、17世紀の文脈に身を置き入れつつ、この後に議論を展開するための下準備を整えておくこととしたい。まずは、哲学史上の基礎知識を改めて確認しつつ、パスカルが生きていた時代の雰囲気のうちに入り込んでみることにしよう。
 
 
 1600年代に哲学の歴史において起こった最大の衝撃、それは言うまでもなく、後に「近代哲学」と呼ばれることになる流れを創始した哲学者であるところの、ルネ・デカルトによって引き起こされた「デカルト革命」(ここでは彼の出現に始まる哲学のスタイルの一大転換を、とりあえずそう呼んでおくこととする)であったと言える。
 
 
 この「デカルト革命」のインパクトは、私たちが読み進めている1927年刊の『存在と時間』の場合にも似て、すさまじいものであった。デカルトという人は、当時で言えば最高の水準に属するエリート教育を受けた後に、自分自身で自らの思惟を鍛え上げること、あるいは、彼の言葉を借りるならば「世界という書物から学ぶ」ことを目的として、ヨーロッパ中を放浪した人物である。そのデカルトが彷徨の果てに、「外の世界から隔絶され、たった一人で部屋の中に閉じこもった上で、『絶対に確実な真理』なるものを単独な現存在、あるいは思惟する精神として見出す」という法外な試みを企てつつ、形而上学の根本的な革新に乗り出したのである。
 
 
 アリストテレス哲学をベースに築き上げられた壮麗な中世スコラ哲学の伝統に決定的な仕方で終焉を宣告しながら、一つの根底的に新たな哲学の出現を全世界に告げ知らせること、それが、哲学者としてのルネ・デカルトが自ら引き受けた歴史的役割であった。そして、これまでの歴史において当然とされ続けてきたことを徹底的に疑いながら、この上なく大胆な仕方で来たるべき形而上学を構想してゆく、その哲学的天才もさることながら、デカルトという人物の途方もなさは、知識人たちの世界の中で自分自身に与えられた言葉の戦いを戦い抜いていった、その革命の闘士としての戦略的センスのうちにも表れていたのである。
 
 
 
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 デカルトは自分自身が見聞し、省察を重ね続けていった経験の蓄積を通して、知識人たちによる学問の世界、あるいは哲学の世界がどのようなコミュニケーションによって成り立ち、維持されているのか、そこにはどのような人々がおり、どのような権威の構造が機能しているのかといったことについて、自分なりの見解を築き上げていった。そして、一人の戦闘者としてのデカルトが放浪と省察の果てに引き出した結論とは、「17世紀の現在時において、この『哲学の世界』なるものはおそらく、一つの根底的に新しい革命的哲学の出現によって、後戻りすることのできない仕方で転覆することが可能であり、また必要である」というものであった。
 
 
 もちろんデカルトは、このように途方もない企てを、自分一人だけで実現することができないことはよく分かっていた。人間の世界は、未曾有の彗星のような単独的現存在がたった一人現れたという位では、容易に動かされはしないのである。しかし、彼あるいは彼女が、同じ方向に目を向けている同胞たちや、あるいは、既成の権威の構造のうちに身を置きながらも、先入見なしに新しいものと向き合うことのできる開明的な人々と手を組むとしたらどうだろうか。かくして、デカルトは実際にこの企てに挑戦し、そして実際に実現してみせた。「デカルト革命」は、哲学の世界のあり方を根本的な仕方で塗り替えたのである
 
 
 思索者としてのブレーズ・パスカルが生きていた時代というのはこのように、それまでの伝統的な哲学の世界の構造が崩れ落ち、それを食い破るようにして新たな時代の精神がその産声を上げつつある、まさにその地点に位置していた。パスカルはそのような歴史の流れのただ中にあって、新時代を担う気鋭の哲学者の一人として現れた……のかというと、実際の所はそんなことはなく、むしろ彼は、この「デカルト革命」の精神を他の誰よりも深く理解した上で、この根底的に新しい哲学のスタイルに対して徹底的な「否」を突きつけるという、デカルトとはまた別種の闘いに彼自身の実存を賭けたのである。多少なりとも込み入った話ではあるが、次回の記事では、パスカルの「賭け」の議論の内幕に一度立ち戻った上で、彼の思索の戦いの歴史的な側面に光を当ててみることとしたい。この企ては、「実存は賭けである」というテーゼの含意するところを、これまでよりもさらに明瞭に示すことになるはずである。
 
 
 
 
[今回以降の数回の記事では、17世紀と1927年の間を行き来しつつ思索の問いを問うことになりますが、探求の関心は常に2022年時点における「哲学の現在」にあります。歴史の文脈のうちに身を置き入れながら哲学するというスタイルを確立することを目指して、探求を進めてゆきたいと思います。]