2015-01-01から1年間の記事一覧
Dr.Yの診察は、意外なほど早く終わりました。精悍でダンディな風貌のDr.Yは、ひととおり僕の眼球をライトで調べたあと、僕に尋ねました。 「で、あなたは眼精疲労なの?」 「はい、ドクター。ここのところ特にひどくて、サンコバという薬を使っているんです…
ピノコくんが探してきてくれた眼科クリニックは、アメリカ帰りの凄腕ドクターが開設したものだそうです。なんでも、院長のDr.Yは、ドライアイの概念を日本に持ちこんだ研究グループにに属していらっしゃったそうです。僕自身はドライアイではありませんが、…
前の記事で書いたとおり、今週の月曜日に、眼医者さんのところに行ってきました。結論からいうと、今はしばらく様子を見ている状態ですが、とりあえずはひと段落といったところです。ご心配をおかけしてしてしまったとしたら、申し訳ありませんでした!今回…
目の疲労が、相変わらずつづいています……。そして、これが目の問題だけならよかったのですが、それに覆いかぶさるようなかたちで、ほかのさまざまな悩みまで同時に襲いかかってきてしまいました。この記事じたいは日曜日の昼間に書いているのですが、正直に…
赦しについてのシリーズを終えた日に、Sさんからメールをいただきました。とても丁寧なお礼のメッセージで、助手のピノコくんとともに、「よかったね!」と喜びあっていました。 その中でも特に心に残ったのは、次のような箇所でした。Sさんからの許可がおり…
私たちは聖書を手がかりにして、赦しの問題について考えてきました。最終回となる今回では、私たちの探求が見いだしたことについて、もう一度振りかえってみることにしたいと思います。 罪という言葉はとても深刻な響きを帯びていて、なかなか私たちの日常の…
神が人間の罪を赦す。こうしたイデーについて、現代を生きる私たちがどう考えるべきかという点はとりあえず置いておくにしても、「罪を犯された当の相手が赦すことなしに、罪を犯した人間が赦されてしまってよいのか?」という問いは、どちらにしろ残るよう…
「互いのあいだに対話が成り立ちえないほどの罪を犯した場合には、罪の赦しはありえないのか。」今日の記事では、真実であるかどうかという点はとりあえず置いておくことにして、この問いにたいする聖書の答えを見てみることにします。 聖書の答えは、とても…
「なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。カインのようになってはなりません。」 ヨハネ第一の手紙第3章11節において、手紙の作者は、読者たちに互いに愛しあうように説き勧めています。このような生き方はも…
赦しについて考えはじめるにあたって、もう一度、Sさんの問いを掲げておきます。 「他の人にたいして赦されえないほどに重い罪を犯したとして、その罪が赦されるとはどのようなことだろうか?罪が赦されるということは、そもそもありうるのか?」 Sさんの場…
先日、ツイッター上で知り合ったSさんという方から、「赦しをテーマにして記事を書いてほしい」というメッセージをいただきました。その後、何回かのメールのやりとりを通じて、詳細について伺いました。Sさんの問題を問いのかたちにして言い表すならば、次…
私たちは、猫について考えてみるために、レヴィ=ストロースとジャック・デリダの思考を追ってきました。じつは、最初は彼らの思考を総括することでシリーズを終わらせようと考えていたのですが、今回の記事のトピックについて夜中につらつらと考えているう…
ジャック・デリダと猫について論じるのも、今回が最後です。まさか、こんなに長くデリダの裸について語りつづけることになるとは思いませんでした。最終回となる今回では、人間の裸を見つめる猫のほうに焦点を当ててみることにしましょう。デリダは猫につい…
「動物は、裸であるがゆえに裸ではない。」その表現の意味とは、動物は、みずからが裸であることを知らないということでした。それでは、自分が裸であることを知っている人間のほうでは、事態はどうなっているのでしょうか?ジャック・デリダの言葉を追って…
引きつづき、浴室で裸を猫に見られたエピソードについてのデリダの思考を追ってみることにしましょう。デリダは裸の姿を見られることの恥ずかしさについて、次のように言います。 「何が恥ずかしいのか、そして誰の前で恥ずかしいのか?獣のように裸なのが恥…
猫について考えるきっかけとして、レヴィ=ストロースにつづいて、もう一人のフランス人に登場してもらうことにしましょう。近年惜しくも亡くなった、哲学者のジャック・デリダの講演集『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳、筑摩書房、2014…
レヴィ=ストロースの語る猫について論じるはずが、前回はそこまでたどり着けませんでした。猫は、『悲しき熱帯』のいちばん最後の文に出てきます。今回こそ、ニャンニャンちゃんのもとにまで到着しつつ、この本について論じ終えたいと思います。 「世界は人…
二回にわたって猫についての記事を書いたので、せっかくですし、もう少しニャンニャンワールドを探索してみることにしたいと思います。今回の記事で取り扱いたいのは、20世紀のフランスを代表する人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の…
ところで、わが家にはもう一匹の猫がいます。年季の入った13才のオス猫で、ウィルといいます。ただ、彼の性格にはとても難しいところがあるので、なかなか扱いにくいところがあるのですが……。今日の記事では、このウィルについて紹介したいと思います。 ウィ…
10月になりました。季節も本格的に秋に入ったところですが、今日は、久しぶりに子猫のももたろうくんについて書いておきたいと思います。 ももたろうくんについては、以前の記事で二回ほど書きました。ももたろうくんは、いちど千葉の家にもらわれていったは…
私たちはすでに、中江兆民の代表作である『三酔人経綸問答』の展開をおわりまで追ってみました。シリーズの締めくくりとなる今回の記事では、このたびの探求の主題だったデモクラシーなるものについて、とりあえずの結論を出してみることにしましょう。 『三…
『三酔人経綸問答』の展開も、いよいよ終わりの部分にさしかかりました。洋学紳士君と豪傑君の演説についてはすでに見たので、今回の記事では、街なかに住む賢者である南海先生の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。 まず、南海先生は、二人の演説の内容…
『三酔人経綸問答』において、人類の理想を語る洋学紳士君に引きつづいて演説の二番手を務めるのは、豪傑君です。彼のロジックは、洋学紳士君に勝るとも劣らない極論に到達することになります……。これから、彼の言うところに耳を傾けてみましょう。 まず、豪…
洋学紳士君にしたがって理性的に考えてみるなら、すべての人間は平等であり、生まれながらにして自由に生きる権利を与えられているといえます。彼は、人類の歴史はこの真理を社会制度のうえで実現する方向に向かってゆくはずだと主張します。ここでは詳しく…
南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人によって、ざっくばらんな政治談義が交わされる『三酔人経綸問答』ですが、一番手として演説を繰りひろげるのは、理性の申し子とでもいうべき洋学紳士君です。今回の記事では、彼のいうところに耳を傾けてみることにしま…
この国におけるデモクラシーについて考えるためには、ヨーロッパの思想家たちに目を向けるだけではなく、この国の先人たちから多くを学ぶことも必要です。これから、中江兆民の代表作、『三酔人経綸問答』の世界へ入ってゆきたいと思います。この本について…
安保法案をめぐる国会での騒動から、一週間以上がたちました。今回の件については、すでにさまざまなことが言われていますが、このブログでも少し考えてみることにしたいと思います。 すこし残念なことに、集団的自衛権をめぐるこの問題については、この国の…
読書の秋のとりあえずの締めくくりとして、ヨーロッパ文学の古典中の古典を紹介したいと思います。文学が好きな人であるならば、人生のどこかの時点で紐解くことになるであろう、ダンテの『神曲』です。 ダンテ・アリギエーリ。13世紀のイタリアを代表する…
文学の世界を散歩していて最も楽しい瞬間のひとつは、「え、こんなものが歴史に残ってしまったのか?」といわざるをえないような、珍妙そのものの作品に出会ってしまうときです。前回の記事では、読む人に考えさせる本を紹介したので、今回の記事では、文字…
読書の秋なので、最近読んだ本のことを取りあげてみることにします。今年の4月に出た、國分功一郎さんの『近代政治哲学 ー自然・主権・行政』(ちくま新書)は、とても勉強になりました。著者の國分功一郎さんは、今この国のなかで最も注目されている哲学者…