イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2015-01-01から1年間の記事一覧

不朽の名曲、『LOVEマシーン』   ー連休のおわりに

今日で連休も終わりです。ここまで来たら、最後の日もつんく♂さんに捧げることにします。締めくくりとしては、これしかないでしょう。一定以上の年齢の方なら誰でも覚えているであろうモーニング娘。のあの名曲、『LOVEマシーン』です! つんく♂さんがモー…

愛の革命的メッセージ   ー『恋愛レボリューション21』について考える

休日の意味について論じるために、本来はUnderworld『two months off』について論じようと思っていましたが、『Yeah!めっちゃホリディ』のテンションと連休の雰囲気につられて、今日もつんく♂さんの曲について書いてみることにしました。さて、つんく♂さん…

『Yeah!めっちゃホリディ』!   ー連休の真ん中でちょっと一息

言論の未来についていちおうのところを論じ終わり、気がつくと連休の真ん中です。今回の安保法案の件については、多くのことを考えさせられました。少し時間を置いたのちに、いずれまた別のシリーズで考えてみたいと思います。 さて、ここ数日は夏の暑さが最…

たまには、自分だけの場所を踏みこえたところで   ー言論の未来についての考察のおわりに

ゆっくりと進んでいる変化であるために、しばしば見落としてしまいがちですが、この国のマルチチュードはこの数十年のあいだに、とても大きな変化を遂げつつあります。確かに、これからのちの日本は、多くの問題に向きあってゆかなければならないことでしょ…

マルチチュードの共生モード   ー私生活が、パブリックなものに接続する瞬間

私たち一人一人のことをマルチチュードと呼んでみることにすると、私たち自身のうちに宿っている多様性の側面がきわだってきます。時代が進むにつれて増大しつづけているこの多様性を、パブリックな言論の力にうまく変えてゆくプランを描くことができるなら…

言論のマルチチュードへ!   ーこれからのデモクラシーを考えるために

私たちは、言論の世界の未来を探しもとめて、ブログ文化、ジャーナリズムの世界における変化、そして、ゲンロンカフェの試みについて見てきました。これらのケースすべては、ある共通した方向を指し示しているように思われます。今回のシリーズをまとめるに…

私たちの時代のアゴラ   ー1月17日のゲンロンカフェで起こっていたこと

1月17日にゲンロンカフェで行われたイベント『現代思想の使命』の内容について、ここで多くを語るのは控えておくことにします。その頃、世を騒がせていたシャルリ・エブド事件についてのコメントにはじまって、ニヒルな社会派作家であるミシェル・ウェルベッ…

ニュー・アカデミズムからゲンロンカフェへ   ーこの国の言論の歴史をたどる

前回の記事では、東浩紀さんが経営するゲンロンカフェについて、その概要を紹介しました。経営者である東浩紀さんは、集英社発刊の文芸誌『すばる』2015年2月号において、ゲンロンカフェの試みについて、次のように発言しています。 「人文知に魅力を感じる…

ゲンロンカフェと思想の現場

私たちは「サペーレ・アウデ!」のリフレインを追うようにして、ブログ文化、ジャーナリズムの世界と見てきましたが、今日の記事では、現在の思想界で活躍している東浩紀さんの活動について論じてみたいと思います。 東浩紀さんをご存知でしょうか?東さんは…

ソクラテス的なライフスタイルへ   ーNewsPicksから見えてくる心性の変化

NewsPicksについて、言論の未来を考えるうえで重要だと思える特質をもう一つここで挙げるとするならば、このアプリを利用することで、ユーザーが対話や議論にたいして自然と開かれるようになってゆくという点です。 ある記事にたいして、自分でコメントをつ…

NewsPicksから見えてくる、ジャーナリズムの近未来

前回の記事ではブログ文化について論じてみましたが、次はジャーナリズムの世界に目を移してみることにしましょう。私たちはこの領域においても、「サペーレ・アウデ!」の声が響きわたっているのを聞くことになります。 突然ですが、これまでにニュースアプ…

「人間性にたいする犯罪」?   ー啓蒙とブログ文化のつながりを考える

自らの理性を用いて考えること、そして、自分が考えたことをすべての人びとに向けて発表すること。イマヌエル・カントが『啓蒙とは何か』において「理性の公的な使用」と呼んだ行為は、インターネットの出現によって、今や誰にでも実行可能なものになりまし…

サペーレ・アウデ!   ーカント『啓蒙とは何か』からのスタート

言論の世界についてこれから考えてゆくうえで、まずは進んでゆくべき方向をしっかりと見据えておくことにしましょう。今日の記事では、ドイツの哲学者であるイマヌエル・カントが1784年に発表した、『啓蒙とは何か』から出発して論じてみたいと思います。200…

2015年9月、いま、言論の状況は?

気がつくと、9月ももう7日です。集団的自衛権の行使をめぐる案件が、いよいよ大詰めに入ろうとしています。インターネット上でもさまざまな意見が交わされていますが、このブログにおいても、これから数回をかけて、今のこの国の状況について考えてみるこ…

メトニミーとストロベリーな新生活   ーメンソレータムカンナちゃんの分析のおわりに

この動画に三日間もお世話になるとは、思いませんでした。残りの部分の分析については、簡潔に済ませることにしましょう。やはり個人的には、0:17に見られるような、お茶目な媚びの要素がこのCMにおける環奈ちゃんの魅力の核となっているように感じられます…

唇がゼロ記号になる瞬間   ーCMが織りなす意味作用の宇宙

橋本環奈ちゃんが繰りひろげるメンソレータムカンナちゃんの世界を、引きつづき探ってみたいと思います。この短い30秒のなかに、ひとつの意味の宇宙があります。橋本環奈ちゃんのこの動画について論じるにあたっては、記号学的分析について学ぶという、また…

CMから学ぶ記号学   ー橋本環奈ちゃんとリップクリーム

芸術と倫理についての探求がひと段落したので、今日は気楽な話題でひと休みすることにします。 「千年に一人の逸材」といわれて芸能界に登場した橋本環奈ちゃんですが、僕はこれまで、冷静に事態を静観しつづけてきたつもりでした。はたして、そんなに簡単に…

「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる」 ー死の欲動についての考察のおわりに

芸術と倫理についての探求の終わりに、以前の記事において取りあげた言葉について、もう一度考えてみることにしましょう。 「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる。」やくしまるえつこさんのこの言葉は、私たちの想像をはるかに超えて、この時代の問いの中…

ディスコミュ二ケーションを突きぬけて ー向井秀徳「KIMOCHI」から考える

これまでの二つの曲の分析から見えてきたのは、私たちの時代においては、人と人とのあいだの関係が、かつてないほどに遠いものと感じとられるようになってきているということです。 あなたは、私にとっては原理的にいってすべてを知ることのできない存在です…

善悪の彼岸から呼びかける音楽   ートム・ヨーク「The Eraser」について

道徳法則の及ばないところで、むき出しの人間関係を生きる。私たちの時代は、このことの意味がかつてないほど深刻に問われるようになっている時代だと思います。 こうした状況に、むき出しの暴力と性をテーマにしたエンターテインメントが巷にあふれるように…

ポップ・ソングの神学的次元   ーsalyu×salyu『ただのともだち』から、愛の体験について考える

人間のうちでいったん死の欲動がアクティブ・モードに入ると、道徳法則は停止してしまいます。そうだとするならば、この欲動との深いつながりのうちにある芸術は、必然的に倫理に反してしまうことになるのでしょうか。確かに、そうしたモメントを扱っている…

生きることと死ぬことを超えて、芸術家は思考する   ー岡本太郎『明日の神話』をめぐって

これまで見てきた作品のうちでは、死の欲動とでも呼ぶしかないようなものの存在が人間のうちで働いていることが示されていたように思います。死の欲動、あるいはタナトスは、私たちのふだんの生活のなかではその存在さえもが慎重に隠されていますが、映画や…

ハンバートが自分でも気づかないうちに、語ってしまっていること   ー『ロリータ』における傷の問題

当然の報いというべきでしょうか、ハンバート・ハンバートとロリータの関係は、物語が進んでゆくにつれて次第に破綻を迎えてゆきます。この破綻は、ハンバートの魂にとり返しのつかない傷を与えることになり、最終的に、彼は殺人に手を染めるまでに至るので…

少女たちをたたえて   ーハンバート・ハンバートのニンフェット理論

「私の芸術は、ひょっとすると、洗練されたかたちでの性的な欲望の追求にすぎないのではないか。」たとえそうした疑いがきざしてくることがあったとしても、芸術家はふつう、自らが創りあげた作品の美によって、その疑いを上品に覆い隠してしまおうとします…

「ロリータ、わが腰の炎」   ーウラジーミル・ナボコフの小説世界へ

ところで、芸術と倫理のあいだの相克というこの問題については、暴力についで性の領域についても見ておく必要があることは、いうまでもありません。この領域においては、芸術はたえずスキャンダルを巻きおこしては、倫理の顰蹙を買いつづけてきました。 今回…

燃えゆくものはみな美しい   ー『宇治拾遺物語』と仏師良秀

芸術と倫理は、危うい均衡のうえでバランスを取りつつ、少なくとも表面のうえではつねに和平を保っています。このことの証拠としては、作品の終わりには正義がかならず取りもどされるという事実を指摘することができるでしょう。ホメロスの『オデュッセイア…

死の欲動と芸術の真理

先週の記事ではいくつかのアート作品について論じてみましたが、それらの作品はみな、多かれ少なかれ、死や暴力を取りあつかっているものでした。今日はこの点について、もう少し踏みこんで考えてみることにしたいと思います。 芸術家が美を追いもとめるとき…

テレビジョン、アイロニー、アンダーグラウンド   ー「笑ってる場合ですよ」Y-クルーズ・エンヤ feat. 呂布カルマ

今日の記事で紹介させていただく曲については、ご存知でない方のほうが多いかもしれません。インディーズで活躍するY-クルーズ・エンヤというアーティストのソロ・アルバム、『しらくべくリゾート』から、「笑ってる場合ですよ」を紹介してみたいと思います。…

アメリカへの逆襲   ーZEEBRAさんと「Neva Enuff」の世界

今日は、北野武監督つながりということで、映画『BROTHER』にインスパイアされて作られた、ZEEBRA featuring AKTION「Neva Enuff」という曲について論じてみたいと思います。 日本のヤクザのアメリカでの活躍を描いた『BROTHER』(2001年公開)は、北野武監…

罵詈雑言のシンフォニー   ー『アウトレイジ』の美学をさぐる

「全員悪人。」先月、この映画を近所のゲオで借りてきて観て以来、ずっとどこかで書こうと思っていたのですが、これまでタイミングが見つかりませんでした。北野武監督のスマッシュ・ヒット作、『アウトレイジ』を紹介させていただきます。僕は、普段はバイ…