イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

アカウントの弁証法

 
 もう一度、本アカウントと裏アカウントの区別に立ち戻ってみます。
 

 哲学者の本アカ:「わたしは純粋に、真理のみを追求する。」
 哲学者の裏アカ:「わたしは切実に、岩波文庫に残りたい。」
 

 ここでまず重要なのは、裏アカウントの願望が切実であるのと同様に、本アカウントの表明も嘘ではないという点です。本アカウントとはたいていの場合、嘘や偽りを言うよりは、自分の欲望や意志のうちで公式に表明できるものをつぶやく場所に他ならないからです。
 

 一方、裏アカウントでのコメントなるものも、誰にも言えないことというよりは、表向きにはあまり言えないけれど誰かには言いたいといった類のことをつぶやくものです。その意味では、本アカウントはもちろん、裏アカウントにも何らかの公共性あるいは社会性の次元が働いていることは疑いえません。
 

 こと筆者に関していえば、目の調子が悪くてiPad上の作業が制限されていることと、何よりも面倒なことが手伝って、今のところ、本アカウントに対する裏アカウントを設置するには至っていません。
 

 その結果、「社交とかマジで鬱」や「何でもいいから岩波入りしたい」などといった、本来は裏アカウントに属する内容が本アカウントに侵入してくるという、散種的あるいはハイパーカオス的な状況が具現しつつあります。どうにも困った状況であることは確かですが、少なくとも目下のところは、本アカなのか裏アカなのか不明という現在のままの状態で書き続けてゆくしかなさそうです。
 
 
 
本アカ 裏アカ 岩波文庫 真理 西田幾多郎 有村架純 TWICE 前田敦子 握手会
 
 

 今まで言いにくかったことを不特定多数に向けて発信できるようになったという点では、SNS等における裏アカウントの出現は画期的であったといえます。メンタルの病や不道徳な思想を蔓延させている側面が多分にあることもまた否定しがたそうですが……。
 

 もういいじゃん、いろいろ。あの西田幾多郎先生だってたぶん、TWICEのSANAちゃんにウハウハしてたり、もがちゃん脱退のニュースに涙してたよ。きっとただ、先生の時代にはSNSがなかっただけ。人生は結局、絶対矛盾的自己同一なの。哲学2.0は絶対矛盾的自己同一的に、笑いあり、涙あり、アイドルありの何でもワールドでいいじゃない……。
 

 ……といった無責任な発言はさすがにあけすけすぎる上、この国の先人である西田師への礼をも失するため、このままでは容認できないことは言うまでもありませんが、本アカウント/裏アカウントの区別が多くの議論を誘発しうるものであることは確かなようです。なお、筆者自身は、有村架純ちゃんであろうと握手会で握手してもらったことのある前田敦子ちゃんであろうと、およそ哲学以外の事象には一切の興味を持っていないことを最後に付け加えておくことにします。