イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

真理とは何か

 
 今回の問い:
 真理とは何か?
 
 
 まずは前回の探求との関連から、次の点を見ておくことから始めることとしたい。
 
 
 真理を語る者についての言明:
 善き師は、真理を語るはずである。
 
 
 師とて人間であるゆえ、間違いや不十分な点ももちろんあることだろう。それでも、その師が善き師であるならば、彼あるいは彼女は何らかの真理をわれわれに語るに違いない。
 
 
 というか、上の言明は総合的であるというより、ひょっとしたらほとんど分析的な命題であると言えるのかもしれない。師とは、特に哲学の師とは、真理を語る人のことである。「真理を語る人が真理を語る」というのは、そう文字にしてみると、そりゃそうなんじゃないかという気がしなくもない。
 
 
 しかしそうなると、善き師が実際にこの世に存在するかどうかということが、哲学者としてはクリティカルな問いとなってこざるをえない。もしも善き師が存在するのであるならば、その時には、真理が語られるという世にも稀な出来事が、本の中にせよ現実の空間にせよ、実際に起こっているということになる。かくして、上の言明は仮に分析的命題であるとしても、その重要性をいささかも失うことがないという結論に我々はたどり着く(cf.トートロジーに対する、後年のハイデッガーの卓抜な指摘を参照)。筆者の中では最近、もはやほとんどすべてのことが存在問題に結びつくという段階に病が嵩じているのであるが、この点、一応指摘しておくことにしたい。
 
 
 
 真理 善き師 哲学者 ハイデッガー トートロジー 宗教 絶対矛盾的自己同一
 
 
 
 さて、その上で今回出発点として注目しておきたいのは、真理という言葉は、日常生活の中ではほとんど使われることがないという一事実である。
 
 
 というか、普通に生活していたら、この言葉を聞くことはほとんど皆無であるといえるのかもしれない。仰々しいとかうさんくさいとか、そういうのがこの言葉から受ける一般的な印象なのかもしれないと改めて思わされている次第である。
 
 
 しかし、外の世界ではかくも用いられることの少ないこの言葉も、哲学の世界の中ではためらうことなく用いられている。宗教の領域を除けば、人々が真理という言葉を口にしているほとんど唯一の領域が、哲学の世界であると言えるのかもしれぬ。
 
 
 古めかしく、少しばかり(?)うさんくさく、しかし、我々の心をどこまでも燃え立たせずにはいない。真理とは何かという問いをこれから問うにあたって、まずはこの問いが、内容においてはめちゃくちゃメジャーでありながら、実際上はめちゃくちゃにマイナーであるという事実を確認しておくことにしたい。哲学という営みそのものもおそらくは、このメジャー性とマイナー性との絶対的矛盾的自己同一という特徴から免れることは決してないものと思われる(筆者も今後は、ただ哲学することだけにますます専心せねばなるまい)。