イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

美とは何か、あるいは、美術館と映画館

 
 本質の探求というこの主題については、やはり一つ、腰を据えて具体的なケースを扱ってみなければなるまい。
 
 
 問い:
 美とは何か?
 
 
 この問いは哲学者にとってはまず間違いなく、単なる一つの具体例以上のものである。なぜというに、美と真理との間に根底的なつながりがあるというのは、古来から予感され、探求され続けてきた重要事実の中の重要事実であるがゆえに。こういうど真ん中ストライクな問いを発するというのはかなりの勇気がいることではあるが、人目を気にせずにこういうことに挑戦できるというのは、ブログという媒体の長所の一つと言えるのかもしれぬ。
 
 
 さて、美とは何かをこれから問うてみるにあたって、最初に次の点を確認しておくこととしたい。
 
 
 論点:
 美を十全な仕方で鑑賞するためには、そのための鍛錬が必要であろう。
 
 
 絵画でも音楽でも、作品をきちんと鑑賞するためには、研ぎ澄まされた精神の集中が必要である。芸術って、寝そべりながらだらだらと鑑賞することを許してくれないわけで、作品のうちに体現されている美を感じ取るためには、鑑賞するものの方でも少なからぬ努力が必要とされる。この点、たとえば美術館と映画館とは、おそらくはその本質において異なる場所であると言えるのではないだろうか。
 
 
 
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 ジェイソン・ステイサムがスクリーンの中で悪人たちを相手に無双をかましまくるのを見るのに極度の集中力が必要ということであれば、お客さんの数ははるかに減ってしまうことであろう。もちろん、中には芸術肌な映画というものもあるので過度な単純化は避けるべきではあろうが、大まかに言って、映画鑑賞のスタンダードというのはやっぱり、ポップコーンを片手にゲラゲラ笑ったり、度肝を抜かれてスカッとしたりするみたいな体験なのではなかろうか(こう書くと、映画に対してあまりにも一面的なことを言っているような気もしてくる、あくまでもステイサム主演系のアドレナリン大放出映画を念頭に置いているということで諒とされたい)。
 
 
 これに対して、たとえばラファエロの絵を一枚みようと本気で思ったのならば、少なくとも20~30分は絵の前から離れずに、自分からではなく、タブローの方が自分に語りかけてくるのを待つというのでなければならぬであろう。一言で言ってしまえば、美とは非常に面倒臭いものなのである。面倒臭くてもやっぱり美に出会いたいという気概のある人にしか、美は自分の秘密を明かしてはくれないであろうという論点を確認した上で、われわれとしてはさらなる探求に乗り出すこととしたい。