イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ラグビーをすることの、見知らぬ幸福

 
 論点:
 本質の真理を問うこととは、生きることを学ぶことである。
 
 
 生きるとは当たり前のことではなくて、学ばなければならないことである。そして、学ぶためには言うまでもなく、学ぶための意志が必要である。
 
 
 たとえば、筆者にはこれまで、自分がプレーするというのでも観戦するのでも、スポーツが面白いと思ったことはほとんどない。このことにはおそらく、自分の内側からはその面白さを学ぼうという意志が出てこないという事情が関係していて、先のことはわからないとはいえ、多分この人生は、スポーツとはあまり縁のないままに終わるのではないかと思う。
 
 
 しかし、そんな筆者ではあるが、ラグビーが大好きな高校生の男の子の勉強を教えていたことがある。Kくんというのだが、彼とは三年間、彼が受験を終えるまで共に時間を過ごした。
 
 
 雑談する時には、彼はいつでもラグビーのことを話していたものだが、これがまた、本当に楽しそうに話すのである。世界にこんなに面白いものがあるなんて幸せで仕方ないとでもいったような調子で、部活のトレーニングの話やら、国内や海外のプロの試合の結果やらについて、とてもいい笑顔でしゃべってくれたものである。
 
 
 筆者は、あんなに純粋に幸せそうな顔をしている青年を、他に見たことがない。あの時間を共に過ごさせてもらったことは筆者にとっても恵みであったのだなあと、今にして思う。誰かが何かに心から夢中になっている姿を見せてもらうというのは、とてもいいものである。
 
 
 
真理 スポーツ ラグビー ハカ 哲学者
 
 
 
 先にも書いたように、未来のことは誰にもわからないとはいえ、筆者がこれからの人生でスポーツに夢中になることは、多分ないのではないかと思う。のめり込み始めたら面白いのだろうなあとは思うのだが、筆者には時間がない。人生の時間はできる限り、哲学の学びに用いねばならぬ。
 
 
 しかし、Kくんと一緒に時間を過ごさせてもらったおかげで、ラグビーというものがのめり込み始めたら面白いことこの上ないのではあろうなという事だけは学んだ。あんなに人を幸せそうな顔つきにさせるものというのは、きっと面白いのであろう。ハカのダンスとかスター選手のスーパープレイとかを動画で見せてもらったりとか、今ではいい思い出である。
 
 
 今回の記事で何が言いたいのかというと、世界はきっとそういう、楽しくて仕方のないというほどに人間をのめり込ませるもので溢れているのであろうなあということである。その中のいくつかは筆者にもわかるだろうし、その多くは最後までわからないかもしれない。しかし、人を本気で夢中にさせてしまうだけのものが、この世界には無数にある。幸福になるための道の数は、人間には数え切れないのである。
 
 
 筆者は哲学者として、人間を本当の意味で幸福にするものは、哲学という営み以外にはありえないと信じてはいる。しかし、たとえば「ラグビーとは何か」という問いに十全な仕方で答えるためには、ひとはラグビーについて、余すところなく体験を持っているのでなければならない(考えるとは、想起することに他ならないのだから)。Kくんとはここ数年会っていないけれど、彼の人生が、筆者には思い描くことのできないような幸福で満たされることを願う。