イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ヘラクレイトスの言葉から:『存在と時間』真理論のギリシア的由来

 
 「言明が真であるとは、覆いをとって発見しつつあることである」というハイデッガーのテーゼの歴史性を捉えるために、ヘラクレイトスの断片の言葉に耳を傾けてみることにしよう。少し長くなってしまうが、そのまま引用する。
 
 
 ヘラクレイトスの言葉:
 「ロゴスは、ここに示されているというのに、ひとびとは、それを耳にする以前にも、それをひとたび聞いたのちにも、決して理解するようにはならない。いっさいのものごとは、ここで語られたとおりに生じているにもかかわらず、しかも、私がそれをあきらかにし、それぞれのものごとをその本来のありかたにしたがって分かち、それがどのようにあるかをはっきりさせているにもかかわらず、かれらはまるで、それを経験したこともないのとおなじことで、そのうえ多くの話やことがらを見聞きしているのにそうなのだ。」
 
 
 ヘラクレイトスは、「言葉」を意味する「ロゴス」という語を鍵概念として用いた、最初の哲学者である。この断片から読み取ることのできる論点を、三つに分けて辿ってみることにしよう。
 
 
 ①  ヘラクレイトスはロゴスを聞く人間の存在のあり方を、二通りにくっきりと分けている。すなわち、ロゴスを理解する場合と、理解しない場合とである。この線引きは断固としたものであって、曖昧さを許さない。ロゴスは、それが語られたからといって、聞く人に理解されるとは限らないのである。
 
 
 ②  ロゴスを理解しない人々は、それを聞いたとしても、全く何も変わることがない。この直後の文章では、ヘラクレイトスは、「そうした人々は目覚めていても、自分が何をしているのかさえ気づいていないのだ」と語っている。厳しい物言いではあるが、ヘラクレイトスが、発された言葉が理解されたりされなかったりする現象について、極めて鋭敏な感覚を持っていたことがわかる。
 
 
 ③  しかし、ロゴスは理解される際には、一切の物事の生成を解き明かす。ロゴスは、世界はなぜこのようにあるのか、戦いはなぜ万物の父であるのか、秩序とはなぜ常に生き続ける火にほかならないのかといったことの全てを語るのである。ヘラクレイトスはこの〈ロゴス〉を語ることをこそ、おのれの務めであると認識していた。知とは、ロゴスそのものに聞くことである。言葉の解き明かす力の途方もなさを予感しているということこそ、ひとが知に近づいていることの徴にほかならないのである。
 
 
 
 ロゴス ヘラクレイトス ハイデッガー パルメニデス プラトン アリストテレス 形而上学 論理学 実存論的分析論 開示性 アレーテイア
 
 
 
 このように、ヘラクレイトスパルメニデスといった原初の哲学者たちが残した言葉のうちには、「ロゴスが語られるということに対する驚き」の感覚が鋭く刻印されている。この感覚はプラトンアリストテレスといった人々のうちにも、なお息づいていたことだろう。プラトンアリストテレス形而上学や論理学といった「学問のはじまり」を打ち立てることができたのは、一つには彼らがこのような、言葉の持つ「解き明かす力=覆いをとって発見する力」に対するギリシア的感性を備えていたからに他ならない。
 
 
 ハイデッガーが「一致」のイデーを飛び越えて「言明の真であるとは、覆いをとって発見するということである」と主張するのは、このような歴史的背景に基づいてのことである。ギリシア人たちは言葉の力の比類なさを直観してはいたけれども、それを学問の言葉で言い表そうとはしなかった。実存論的分析論はこの比類のなさを、「開示性=覆いをとって発見すること」として術語化しようと試みる。真理の根源的な現象を「覆いをとって発見すること」として解釈しようとするハイデッガーの企ては、同時代の公共的な理解から身を解き放ちつつ、哲学の伝統の源へと遡っていって、それを「根源的にわがものとする」狙いから発したものに他ならないのである。
 
 
 このような仕方で古代ギリシアに立ち返りつつ思索する哲学者が現れたことは哲学の歴史にとって、まさしくエポック・メイキングな出来事であった。何しろ、現代世界のただ中で、それも最新の哲学の問題を論じているただ中で、ヘラクレイトスパルメニデス、そして、アリストテレスといった先駆者たちの言葉が、まるで同時代人の言葉ででもあるかのように突如として浮かび上がってきて、問題の所在について語り始めるのである。ともあれ、私たちの読解も、ここまできてようやく「アレーテイア」という語の射程を捉えるための準備が整った。ハイデッガー真理論のクライマックスに向けて、さらに歩みを進めてゆくこととしたい。