2017-01-01から1年間の記事一覧
生きることの意味は本質的にいって他者との関係のうちにこそあるのではないかと思われますが、その一方で、次のような事情を忘れることはできません。 「わたしとあなたとの関係は、どこかで終わってしまうことがありうる。」 かつてはあれほど多くのことを…
視点を変えて、別の角度からも事態を眺めてみることにします。 「わたしという主体は唯一的ではあるが、それにも関わらず、ただひとりで孤絶して生きてゆくのではない。」 おのれに固有の存在可能性を選びとることは、あくまでも唯一的であるこのわたしに委…
物質的な面においてはともかく、精神的な面からいえば現代がある種の「乏しい時代」であることは間違いなさそうに思われますが、そのことに不平ばかり並べているわけにはゆかないのは確かです。 「唯一的な主体であるわたしは、みずからに固有な存在可能性を…
この時代とニヒリズムの問題について考えるために、まずは次の点を確認しておくことにします。 「認識と判断のすべては、唯一的な主体であるわたしに委ねられている。」 わたしの持つこの自由は、解放と同時に孤独をも意味しています。わたしは誰にも束縛さ…
ニヒリズムについては、次の二つの捉え方があるといえるのではないか。 1.ニヒリズムは、特定の人間が世界に対して取る態度である。 2.ニヒリズムは、人間の世界のあらゆる側面にひそかに浸透している。 すでに論じたように、筆者は、ニヒリズムという概念…
重苦しい話題ではありますが、まずは次の点から考察をはじめてみることにします。 「死は、明示的ではない仕方でではあるが、人間の行うあらゆる営みに暗い影を投げかけつづけているのではないか。」 ふだんから死のことを語る人というのはそれほど多くあり…
イデア性と受肉性の関係についての考察からは、次のような実践的帰結が導かれるように思われます。 「生の根本問題は、死ぬまでに何をなすべきかということのうちにある。」 人間は、人生のうちでさまざまに夢想します。とくに、哲学徒ともなると、それこそ…
ある存在者、または出来事については、次の二つの側面に注目することができます。 1.イデア性 2.受肉性 1は、そのものの「何デアルカ」を示す、理念的なアスペクトです。これに対して、2は、その理念がまさにこの世界にリアルなものとして実現されるさいの…
もう少し、信仰の言葉に耳を傾けておくことにします。 「受肉したロゴスであるキリストは、人間に、主体性の究極のあり方を示した。」 信仰の言葉によれば、神がキリストとなってこの世に降ってきた目的はさまざまにあるけれども、その一つは、人類の教師と…
さて、信仰の言葉は、次のように語っています。 「受肉したロゴスであるキリストは、人間の罪のために十字架上で死に、墓に葬られ、三日目に復活した。」 もはや、ここまで来ると何でもありなのではないかという感は否めませんが、あらゆる思考を覆す絶対的…
1.思考する意識としてのわたしの「わたしはある」(コギト命題) 2.絶対者としての神の「わたしはある」(「主の御名」) 1のコギト命題はデカルトが主張するように、絶対確実に真です。けれども、この命題は「わたしがそのつど思考するかぎりにおいて」と…
絶対的転覆について考えるために、信仰の言葉を参照してみることにしましょう。『出エジプト記』第三章において、シナイ山でモーセから名を尋ねられた神は、次のように語ったとされています。 「わたしはある。わたしはあるという者だ。」 「わたしはある。…
ロゴスの受肉のほうに話を戻しましょう。 「もしも神が存在するならば、神には人間の思考と想像を超えることを行うことができると想定するのを妨げるものは、何も存在しない。」 ロゴスの受肉という主題についても、このことが当てはまります。「ロゴスの受…
想像不可能な出来事が哲学にとって無縁なものではないことを示す例として、私たちすべてにとって決して無関係ではありえないものがあります。 「死は想像不可能である。」 わたしが思考する意識であるかぎり、そのわたしは、わたし自身が消滅するという事態…
ロゴスの受肉というイデーに対しては、当然、次のような疑問が浮かんでくることが予想されます。 「ロゴスの受肉というのは、話としてはあまりにも荒唐無稽すぎる。この話を哲学で扱うのは、さすがに無理というものではないか。」 このような疑問はいうまで…
さて、ここから先は、哲学的思考のリミットとでも呼ぶべき領域に足を踏み入れてゆくことにします。 「信仰の言葉は、ロゴスは受肉して一人の人間となったと語っている。」 第二の位格である子としてのロゴスは、世界の創造に関わっていました。世界はロゴス…
本題に戻って、もう一度、神の愛の哲学的表現のほうに立ち返ってみることにしましょう。 「神の愛とは、現存在への、超越の内部超出のことである。」 4月には、真理の審級の、わたしとあなたへの現前という問題を扱いましたが、心あるいは意識については、…
思考の(偽)メシア性と独断性という問題に行き当たった時には、次のような疑問が浮かんでくることは避けられないように思われます。 「哲学的思考は、その本質からいって、独断的であるほかないのだろうか。」 遺憾ながらそうであるほかないというのが、筆…
思考の(偽)メシア性の問題については、糾弾と否認というモメントに注目しないわけにはゆきません。 「思考はメシア的であろうとするかぎりにおいて、必ずその独断性を非難されないわけにはゆかない。」 仮に、ある人が「わたしはメシア、すなわち救世主で…
1.本来的思考において語られることは、父の意に適っている。 この規定を眺めていると、次のような疑問が浮かんでくるのは避けられないように思われます。 「はたして、神の意に適う思考などというものがありうるのだろうか。」 自分が考え、話していること…
三位一体論の視点に立ってみると、「わたしが考える」というごく当たり前のものに見える出来事も、まったく違ったふうに見えてきます。 「わたしは、絶対者において考える。」 まずは、以前にも少し論じたように、語る、あるいは考えるという行為は、真理と…
第三の位格である聖霊については、次の論点を指摘しておくことにします。 「第三の位格はわたしにおいて、絶対的内面性とでも呼ぶべきモダリティを構成する。」 信仰の言葉によれば、第一の位格である父や第二の位格である子と同じように、第三の位格である…
三位一体論に話が及んだので、この機会に第三の位格についても触れておくことにします。 「信仰の言葉によれば、人間は、第三の位格である聖霊が働くことによって神を信じるようになる。」 何かを信じるようになるということは、よく考えてみると、とても不…
ロゴスという概念について語ることが難しいのは、ロゴスもまたイデアと同じように、信仰対象という性格を持っているからです。 世界を創造する言葉という意味でのロゴスという概念をはじめに打ち出したのは、フィロンという古代のユダヤ人哲学者でした。その…
来たるべき知恵の探求を、ここで仮に哲神学と呼んでおくことにすると、哲神学的な観点からは、次のような点を指摘することができそうです。 「ロゴスとイデアは、それぞれ〈語られたもの〉と〈見られたもの〉として、互いが互いに向けて対向する。」 信仰の…
今回は少し(かなり?)マニアックになりますが、イデア論をめぐる七つの観点を提示しておくことにします。 1.認識論的観点。フッサールの研究は、意識における意味作用のイデア的同一性を発見するところから、本格的に始まりました。のちに「本質直観」と…
本題からは少し外れますが、よい機会なのでここで脱線して、以下の点について考えておくことにしたい。 「イデアは存在する。」 キャンディーズのメンバーたちは、「恋する普通の女の子」に扮して歌を歌います。しかし、誰もが知っている通り、「恋する普通…
やはり、一曲だけでもキャンディーズの名曲を紹介させていただきたいという思いを抑えることができません!季節はもう夏ということで、FINALサマーチューン『暑中見舞い申し上げます』を分析してみることにします。うーわお! キャンディーズ/暑中お見舞い…
というわけで、哲学の未来のためにも、ぜひともキャンディーズの魅力の秘密に迫っておきたいところですが、ここで私たちは、マルティン・ハイデッガーが存在論的差異と呼んだモメントに注目しておく必要があるように思われます。 「存在論的差異とは、存在者…
哲学がこの21世紀を力強く生き残ってゆくためには、どうすればいいのか。その問いへの答えを求めつづけていた筆者は、ひとつのヒントとなるかもしれないアイドルの存在に、あらためて注意を向けさせられました。 「キャンディーズは、ヤバすぎる。」 昭和と…